「予想を裏切り、期待に応える」。
三谷幸喜さんの座右の銘。
この言葉が、自分が一番目指したいと思う作品の形。
学生の頃にこの言葉を聞いてから、ずっとずっとこの言葉を意識してきました。
「予想」と「期待」は、すごく似ているけど、全然違う。
予想通りのものしか作れなかったら、何の驚きも無い作品になってしまう。
期待を裏切るものしか作れなかったら、次はもう手にとってもらえない。
ただ予想を裏切るだけなら、作るのは簡単かもしれない。
とんでもない訳の分からないものにすればいいだけだから。
だけどそれでは、期待すらも裏切ってしまう事になる。
期待通りの展開と、そしてその中で予想を超えるようなものを目指す。
文章だけじゃなくて、この世の全ての創造物に言える事だと思います。
ピュアなラブストーリーがあったとして…
見ている人が“期待”するのは、最後に主人公とヒロインが幸せにくっつく事。
ヒロインがラストで死ぬ展開なんて誰も求めていないし、
主人公がヒロイン以外の人物とくっつくのも誰も求めていない。
(無論、お涙ちょうだい系ラブストーリーでは、「病気や死別」もひとつの“期待”する展開のひとつです)
期待されるべき展開を勘違いした作家は、
他の作品との差別化だとか、予想だにしない展開にしたいとかの自己満足で、失敗します。
じゃあ“予想”にあたるのは、どの部分なのか。
「ズバリここ!」みたいなのは思いつかないんですが、
単純に表現するなら、ゴールインするまでの過程――というところでしょうか。
例えば、二人は一体どんな出会い方をするのか。
道端で偶然ぶつかった?
隣の部屋に引っ越してきた?
友達の紹介だった?
出会い方ひとつとっても、こんなものじゃないくらいたくさんのパターンがあるでしょう。
そしてそこからどうやって関係を深めていくか、すれ違ったりするのか、仲直りできるのか。
ゴールインの形にしても、一体どんな言葉を以って締め括りとするのか。
かなり昔のドラマですが、「101回目のプロポーズ」の有名なワンシーン。
ダンプカーの前に飛び出して、「僕は死にましぇん!あなたが好きだから!」。
あんな告白の仕方、一体どこの誰が予想できたのか。
当時、視聴者の“予想”を大きく裏切った事でしょう。
「予想を裏切り、期待に応える」
作り出すものだけでなく、人間としても、そう思ってもらえる様な人間になろう。