文通なんてものに憧れる。

現代は精密機械(古いか?)の発達により利便性が高まり人との繋がり方も物理的には近くなった、、なんて社会を切った風な使い古された糞味噌のような理由などではない。そもそも社会なんぞ知らんし、自分の半径1メートルの世界で煩悶と布団の上で、のたうち戦う御都合主義者なのだ。世情などに構っていられるほど私は暇じゃない。


少々毒っ気が出てしまった。紳士たるものいつでも冷静沈着、不動明王の如く徹さなければ。
ティーを嗜む英国紳士よりもダンディズムに溢れている私だ。(朝には必ず、パンと茶とフルーツを食卓へ)
そんな私が文通という古来から紳士の最上行為と位置付けられたものに、着手しない理由が無い。


よってここからこのブログを文通に見立てた文章で書いてみようという考えが、雷鳴の如く私の体を駆け抜けた。

紳士だからやるしかない。紳士に二言なし。


ゴールは飽きるまで。








森見登美彦先生の恋文の技術を読んだばかりなので、こんな無謀もとい無益な事をしでかそうとしている。
絶対に続かない事は目に見えているが気まぐれで動くのが人間だ。気まぐれで始め、気まぐれでやり過ごし、気まぐれで終わっていく。その繰り返しだ。
だから気まぐれの波長が合ったら読んで欲しい。

ご都合主義社会ナイトライダー