思えばこれまでの私は『見』の人生を歩んできた。
『見』とは見ること、不用意に他人に干渉しないこと、自分の意見を秘めておくこと。
集団の中にいることは苦ではない。むしろ群れるのはどこか落ち着く。
寂しさを紛らわすことができるから。
寂しがり屋。
それは恐らく幼少期の孤独からと考えられる。
小学校に上がる前に親が離婚、
中学校に上がる前に祖母が療養のため親族の家に行き僕は父親と二人暮らし。
父には感謝している。ここまで育ててくれてありがとう。
だが母親がいないこと、大学卒業後父とも疎遠になったこと、ずっと一人暮らしを続けていたこと。
人に心を許すということをいつからか避け始めていた。
思えば小学校の時から『見』の人生を過ごしてきた。
人の意見をまとめるのは得意だが、それは自分の意見を心に秘めているから。
だから全体を見渡すことができ、均衡を図り意見をまとめあげることができる。
だがここ半年ほど人との関りがなかった。集団に紛れることがなかった。
だから本当に寂しかった。
でも寂しいという自分に気づくことができた。
『見』の人生を過ごしてきたということも分かった。
だからようやく次の一歩へと進めそうだ。
これが僕だ、僕なんだ。
強さと、ほんの少しの弱さを心に秘めて。