あゆみのブログ

あゆみのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

前の話になるが、人という文字は、人と人が支えあっている姿を現しているのではない。人が一人で立っている姿を映したものだという人がいた。私は、やっぱり、それも少し違って、支えるものとその上に立つ者がいるという気持ちでいる

私の病気で死ぬのは、自殺が多いらしくリスカや薬の大量服薬なんかもあるみたいだ。いずれもやったことがあるし、いまやらないりゆうは、今、死を選択することができないのである。

私が死んだことを理解できない弟を残して死ぬことはできないのだ。誰が、彼の生活を支えるのだ?それは、家族の責任だし、行政という縦割り業者に期待ばかりできないのが現状である。

ひとなのだから、人らしくはありたい。たとえ、それがアンチにあったとしても、まぁ、見る人に伝わらないのはそれまでなのだと思う。

喜怒哀楽を表現しながら生きているわけだが、私は、5年間は、死だった。とにかく死にたかったくせに大した情報収集もせず、適当な性格も災いして、生きていいる。死にたかったけど、今、生きている。死にたくなるのは理性を持った人にしかわからない感情だと思う。でも、やっぱり生きてほしい。死んでしまっては、終わりなのだ。私は、お母さんにもなれず、そのことが主原因となって、病気になるという愚かな人間で、好きでもなかった人と、それはまぁ、服従という形でそうなったわけだが、これは、相手のあることで、何度も確認されたし、私は子供がほしかった。でも、結局その選択はかなわず強制送還になった。私は、自分が悪かったと思う。愚かの一言でしかない。こんな人間は死んだほうがいいのかもしれない。でも、もう一度だけチャンスがほしい。劇的なことができるわけでもないし、非凡な性格でメンタルに問題がある。だから、病気の人の気持ちがわかるとか、障がいが何たるかなんて語れない。でも、もし、私にもうそんなに時間がないのだとしたら、死ぬ前に、このことだけは書いておきたい。どうか、自分ばっかりと思わないでほしい。ついてない日だって、いやな日だってそれはある。でも、生きてほしい。前向いて生きてばっかりはいられないけれど、うつむいてばかりでは、広がる景色は見えない。わたしは、統合失調症だけど、不運だし、不幸だけど、それでも、生きているのだ。ネームバリューがあるわけでもないし、誰に届いているのかもわからないけれど、もし、このことで何かが変わるとしたら、私のほうである。自己満足なんだ。日記なのだから。だけど、今日もどうか生きてください。恰好とか、地位と名誉とかなくて、それでも、やっぱり生きてほしい。ひとは、支える人でもあるし、支えられる人でもある。一人ではないのだ。生きていれば、今一人だと感じていいても、誰かに出会えるんじゃないだろうか。法律の勉強をしているのも、もしかしたら実らないことなのかもしれない。それでも、やりたいのだ。やりたいからやる。支えてもらってばかりなので、せめて学費は返したい。人は、確かに一人で立たなければならない。いつ立つのか、いつでもいい。必ず立ちたい。しゃがんでばかりでは、おんぶにだっこでは、いつか、本当に困る時が来る。だから、親は、相続をするのだ。誰に?自分の子供に。どんなに仲たがいしていても、遺留分相続がある。生きるのは大変だし、生きていくのは苦しい。でも、生きている今はどう。そんな自分をほめたっていい。誰が、自分で自分のことをほめて上げられればいい。ひとは、必ず死ぬ。一回しかない死までの時間を老いるだけに使うなんてもったいない。生きなければならない。この点は、疑問なのだが、人を2人殺したら、死刑にはならないだろが、実刑は免れないだろう。生活に困窮し、やむにやまれなくても、殺人は殺人だし、弁護士も検察も、まして裁判官でさえ人間なのだから、斟酌の点が違うことが争点なのだ。不快に思うのならば、離れればいいというが、その不快感を表現するのもまた、ある種楽しいんだろう。なんにでもアンチはいる。それをどう思うかは、表現の問題だと思う。何が差別で、放送コードがどうなのか、人間が人間による人間のためのルールに則って生きねばならない。感情とは難しい。でも、人から感情を取ったら、どんな世界になるんだろう。まず、」表現がなくなる。何も思わない、何も感じない、棒読みの世界。笑顔も涙も損得勘定もなくなるだろう。ひとがひとであることは、ひとにしかわからない。ひとであることはできても、ひとになれないひと。とカテゴライズしていないだろか。何でもいいわけない。何でも悪いわけではない。いいこともあり、悪いこともある。生きるということはそういうことで、誰からも奪われてはいけない。病気だって、本当はお医者さんに治してほしい。人力は、無限ではないのだ。できる限りの人に生きてほしい。ひとである限り、生きていてほしい。支える人であり、支えられている人でありたい。

ひとが生きる上で、罪が生まれ、私は罪人なので、なにをていぎにしたかといえば、仁義に反したとしか言いようがないが、それでも、私の中では、終わることのない証で、私がどうにか生きてこれたのも、証がなかったら、ここまで来ることができなかった。

ひとについて、まず私のことを書いてみたが、不快に思った方がいたら申し訳ない。