私の父は十数年前にクモ膜下をし、生きれたものの先を見越した考えができなくなりました。そんな中あまりにも酷かった元カレとの事、新たに降って湧いたAの存在。母は誰にも相談出来ず、一人で孤独だったと思います。
私の気持ちを試していたのもあると思いますが、母と一緒にいる時間がこんなに辛かった時期はありません。よーこんなにひどい事思いつくなと思うくらい最悪な状況を持ち出してはAと分かれさせようとする母。
元カレにひどい事を言われ慣れていた私。母も結構ひどい事言いましたがその後後悔を見せるので可愛くなってきました(笑)
なんとかならんものかと留学生受け入れや通訳、元国際線添乗員をされている母世代の方々に相談するも、『娘が黒人を連れてきたら反対する』との事。理由は色々ありましたが、綺麗事を言わず正直に答えてくださった事に感謝しています。
母との戦い第一幕は、とにかく会ってみて!攻撃。
ことごとく拒否。
母は元カレと私の間に起こった事にまだ気持ちの整理がついていなかったそうです。
これは私の責任です。
元カレと一緒にいる時は実家に帰れませんでした。しかも元カレのいい所を聞かれてないのに話す事を体で覚えせられていたので、いい事しか話さない私に母は疑問を感じながらも元カレと私の結婚を夢見ていたのです。なのに実は虐待を受けていたと分かり母はショックで寝込んでしまったそうです。(兄弟談)
その頃Aが注文してくれていた婚約指輪が届いたのです!プロポーズされてから2人で指輪を見に行ったので正式プロポーズは指輪の到着後と言う事になってました。
婚約は2人で決めて勝手にしたので結婚は必ず双方の親から了解をもらい気持ちよく進めたかったのです。母のショックが思予想以上でしたので、長丁場になるなと踏んでました。お互いに結婚は二年先くらいかな?と思っていたので母の説得はゆっくり進めて行くつもりでした。
事が急変し出したのは父と話をしてから!
アメリカ人と付き合ってます。プロポーズされました。と言ったら
『そう、幸せになってね。』
え?よろしいの?!
『留学を長いことさせたから、いつかはこんな日がくるかなと思っていた。お父さんは娘を大事にしてくれるなら国籍や人種は問わない。ただお母さんと頑張ってきた事業が波に乗ってきた。Z(私)に日本に残って事業をついで欲しいし、Zに子供ができたら出来ればその子どもにもついで欲しい』
父の意見には感謝で涙がとまりませんでした。
しかし、父と母、意見が分かれてしまいました。
さあどうしよう?!
急遽お食事会をする事になりました。え?なんでって?レストランの個室プランが前代未聞のバーゲンプライスだったので(笑)
まさかお食事会の数ヶ月後に結婚して年末はAの実家に帰ることになるなんて!
