僕がまだ東京に来る前。
「神童」という漫画を読んだのを昨日のことのように覚えている。
それは天才的な腕前のピアニストの女の子の話。
4巻くらいの短い漫画。
物語の終盤、彼女は名声を手にし、さあこれから世界に羽ばたくぞというとき彼女は聴力に障害を持ってしまう。
それから彼女は周りに見放され、しばらく姿を消した。
死んだのか?海外に移住してしまった?
という憶測が飛び交う中、主人公はまた彼女に出会う。
彼女は聴力を完全になくし、手話でほとんど会話していて、その時の場面では彼女はろうあ学校(聴力に障害を持った子供たちの通う学校)にいた、と思う。
そこで先生や生徒たちと一緒にピアノを弾いてバルーンに反響する音の振動を楽しんだり打楽器で遊んでいる。
どういうことなんだろう?と思ったけれどつまり
声や音、光、その他全ては振動、つまり音の波の信号で脳に伝えられる。
彼女は主人公の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が聞こえる。
「音は聞こえなくても、感じることができるんだよ」と。
何かを失い、それでも生きていくということ。
以前医療職についていたとき色んな経験をした。
先の話はフィクションだけれども。
心の病、身体の病で何かを失う。
身近にそんな話はありふれている。
そのどれもが冗談に出来ないようなことばかりだ。
奈落の底に落とされたような気分で彼らは言う。
「何で自分なんだ!他にももっと悪いことしてきた人だっているだろ!!」
0地点からのスタート。
そして現実を徐々に受け入れる。
その時ふつふつと湧き上がる考え。
「この世に、その人に乗り越えられないことなんて起こらない。」
自分がその当事者になったのなら、そんなことを考える余裕なんて起きないに決まっている。
今までの人生の大幅な軌道修正、若いのなら結婚や恋愛だってあるんだろうし。
やすやすとそんなこと言えない。
しかしいつかは笑っていえる時が来る。
それが乗り越えて生きていくということなんだと思うから。
最近Coccoのあの曲が頭から離れない!
「トビウオのアーチをくぐって宝島に届く頃
あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ
人は強いものよ、とても強いものよ。 」