母と別れ、職場に着くと、保育園はお昼寝中だった事もあり、布団をかぶり先生達は子供を守っていた。
親の迎えを待つ子供達…。私も急いで、大変そうなクラスへ。

不安で泣いてしまう子供もいたが、落ち着いてくるといつもの笑顔が見られた。でも、未だ揺れは続いていたため、油断は出来ない状況。

ホールに集まり、一人一人親が迎えに来るたびに担任達は、無事に帰す事ができホッとしたとゆう。
しかし、保育時間が過ぎても、連絡もつかず迎えに来れない子供も何人かいた。
職員も道路の状況が悪く帰れなかったりと、職場に泊まる事となった。

しかし、職員への食事をどうしよう。。水だけが唯一使える状態でした。

おやつのバナナや、煎餅やクッキーなどでしのぎました。
明かりとなる物も少なく、車のライトで照らし、ストーブもあったため、子供達の布団に包まりながら一夜を過ごしました。

ラジオの情報を得ながら、余震があるたび目を覚ました。

ラジオからは、津波での影響が報道された。母からは、夕方一度電話があったきりだった…その時は、物凄い渋滞だと。それっきり連絡が取れなかった。どうしているかと心配だった。

地震二日目の食事は、非常食を使う事にした。職員も腹ぺこだろう。水を入れるだけでできるご飯があったため、水を入れて一時間。。

五目ご飯ができた。
まず、子供達に朝食を。ペロリと食べてくれた。

残る子供は、一人となった。朝になってもまだ、お迎えが来ない。担任だけが残り、他の職員は帰宅することとなった。