あの人にもできるからわたしにもできる

とは思わないけど、

わたしにもできるからあなたにもできるでしょ

という考え方はわりとしていることに気づいた。

特に人より秀でた才能や環境でもないし、

わたしみたいな人間ができるのだから…

という卑下した考えに基づく思考。

 

どういうわけか人より劣等感が強くて

職場の上司からも「卑屈だなー笑」とか言われるし

母にセミナー参加の話をすれば

「弱みにつけ込んでくる宗教とか団体とかあるから気をつけてショボーン

と心配される始末。

劣等感も強いけど、上昇志向もそこそこ強いので、

頭の中いろいろと大人しくしていられず、

それで周囲もヒヤヒヤもの。

 

改めてだけど、わたしの夫や友人してくれている人って

心底すごいなって思う。

だって、両親や職場の人間関係はもはや仕方ないというか、

選択の余地なしでしょ。

でも夫や友人たちはわざわざわたしを選択してくれたんだもの。

すごいな、って思う。

こんなめんどくさい人間をよく…笑。

そして心からありがとうだ。

 

母に至っては、感謝の域を超えている!!

選択の余地なしにしても

だいじにだいじに育ててくれた。

わたしの個性を潰すことなく、

存在を肯定し、

時には叱り、時には守り、

いつもわたしの味方でいてくれた。

この人の子どもに生まれてよかったと思わなかったことはない。

今まで一度も。

でもわたしの親になって後悔したかなと母の心情を想像したことは

何度でもある。

 

おそらく、母が母でなかったら

わたしは子どもを欲することはなかった。

だって、子どもは手がかかる。

わたしのように。

わたしから生まれる子どもだから、

わたしのように手がかかる確率が非常に高いだろう。

それでも子どもが欲っするのは

母の言葉が大きいのだ。

「お母さんは○○(わたし)と○○(妹)がいてくれて

すごく強くなれたんだ。

ふたりがいるからがんばろうって思えるんだ」

いつだったか、幼い頃に、

わたしは母がわたしを産んだから

苦しまないといけないのだみたいなことを言った。

産んでくれなきゃよかったのに、と。

もしわたしが不妊治療の末、授かったわが子に

そんな言葉を投げられたらどんな気持ちになるだろう。

今、子どもを授かりたい一心のわたしならそれが分かる。

どんなに残酷な言葉を吐いてしまったのだろうと。

 

わたし程度の人間ができることは多くの人ができるのだろうけど、

わたしだから生まれる感情や考えや感謝やその他諸々のこともあるのだと信じたい。

それでいつか、自分にも他人にも

そういう部分を否定することなく

受け入れて受け入れて受け入れて

生かしていけたらいいなぁ。