こんばんは。
再びアデノウイルスにやられて死んでる、あやです。
今回は、「どんなプロセスで娘が児相から帰ってきたか」について書いていきます。
まず結論から言いますと、こちらが清廉潔白で児相の方と信頼関係がしっかり築けると、最短で1ヶ月半で帰ってきます。
弁護士は必要?
→必要ありませんでした。
まずは経緯から。
10/31日、退院の日に病院で保護。
原因不明の事故でクモ膜下出血を疑われたため、ネグレクトの疑いで保護。
このときの職員は最悪でした。
まず、クモ膜下出血を起こした子はガイドラインに沿って一時保護しますという説明がありませんでした。
その説明がまともになかったため、精神的に錯乱した状態で、帰路に着きました。
その2日後、初めての家庭訪問。
初めから虐待は疑われていなく、家庭状況や、他の兄弟の様子を見られる。
皆超元気いっぱいで走り回っていたので、「これでは事故が起きても仕方ない。私達と一緒に長女ちゃんが安全に過ごせる環境を作りましょう。」
1週間後、担当が決まり、基本的には必ずその担当の方が家庭内環境の改善、私達の人となりを見て、11月一杯は担当の方との打ち合わせで、12月まで娘には会えませんでした。
ここで大切な事を書きます。
決して、児相担当の方に「高圧的」
な態度をとってはいけません。
行政の職員は感情的になる親を非常に嫌います。彼らはガイドラインに沿って仕事でやっており、とても忙しいのです。
少しばかり涙を流したり、迷惑にならない程度の質問をするのは良いですが、泣いたり喚いたりするのはやめてください。
また、質問事項がある場合は書面にまとめて次回の面接時に解答を依頼すると良いです。
こうして11月は、担当の方との今後の方針の打ち合わせ、信頼関係の構築に費やしました。
娘に面会出来たのが12月です。
基本的には乳児院にいて、面会時だけ児童相談所の会議室で会うという形を取っていました。
また、担当の方との信頼関係をしっかり作っておいたおかげで、基本的には親子面会3回→一時帰宅→年明けの訪問で一時保護解除
という流れでした。
この時注意しなくてはいけないのは、
家に帰ってきた時点では一時保護は解除されておりません。
大体2週間ほど経過観察で、その後の訪問で問題無ければ、一時保護解除になります。
ただし、児相の職員の方は決して悪い方ではなく、今回担当してくれた方は、長女を真剣に、早めにお家に返そうと尽力してくれた人でした。
もちろん、半年くらいは定期的な訪問があります。長女の脳の検査もしばらく通院が必要なため、児相の職員の方が病院に同行することもあります。
今回の担当の方は、長男の発達障害、次男の発達遅延についても今後相談に乗ってくれたり、「困ったらここに行くと良いですよ!」とか、豊富な情報を提供してくださる方です。
そのため、今後しばらくは他の子どもたちの事についてもお世話になるかと思います。
これらに関しては、保護者と児相の職員のマッチングによると思います。いや、全てはそれにかかっています。
弁護士に関しては、例えば本当に虐待をしていない、覚えがないのにいつまでも会わせてもらえない、いつまでもネチネチ疑われる…そういう職員に当たった場合は、弁護士を活用すべきかと思います。
ちなみに私の友人の知人ですが、弁護士をつけてるのにお子さんが何年も帰ってこない方がいるらしいです。
その弁護士、ちゃんと仕事…してなさそう。
ちなみに保護された経緯は聞いていないので分かりません。
本当にケースバイケースなので分かりません。
ただ大切な事を、忘れないでください。
児相の職員も、「人」です。
ちなみに次男が発達遅延で療育手帳を受け取っていますが、発行の場所はどこだと思いますか?
答えは、児童相談所です。
別に、子供を理由無く奪う機関でも無いですし、子供のサポートをする機関といった方が良いかもしれませんね。