おじいちゃんの愛妻、おばあちゃんは、20歳の時におじいちゃんに嫁ぎました。
社内恋愛でした。
銀座でデートした話をよく聞かされます。


おばあちゃんは、6人のお兄さん、妹1人、弟1人の9人兄弟でした。
今では妹1人のみ健在で、外見が良く似た二人は、とても仲良くしています。
父親は交番の警察官で、あちこちよく転勤していたようですが、
幼い頃に亡くなって、写真でしか憶えていないそうです。


お兄さん達の助けもあり、祖母は女学校を出ました。
就職試験で5人居た中で選ばれた話をよくします。


付き合いはじめてすぐに祖父は結婚を求めましたが、
祖母は英語とか、勉強したいことが沢山あるし、料理も出来ないし、
と渋っていたようです。


でも祖父が、家に来て勉強すればいい、と強力にアプローチ!
結局仕事は半年くらいで辞めさせられ、結婚しました☆
結婚後、祖父の妹達と一緒に自由が丘の魚菜学園で料理を習いました。

結婚式は目黒雅叙園、新婚旅行は熱海…だったかな?


ところが一年後には祖父は出征。
5年くらい帰ってこられませんでしたが、祖母は夫の家族と
共に頑張って待ちました。
帰国はしているのに船から降ろさせてもらえなかった間、
いつも祖父の名前を探しにいっていたそうです。
戦後、ベビーブームの波にしっかり乗って、3人の娘をもうけました。


すぐ祖父がからかって祖母が怒って喧嘩していましたが、
付き合った頃や結婚した頃の話をよくする、ラブラブな二人で、
66年もの長い間連れ添うことができました。


写真は、最後に祖父が入院先から帰り週末実家で過ごした時、
病院へ戻っていく祖父に「チュウしていいわよ」と母が言うと、
祖母が本当にしちゃいました☆


KISS

おじいちゃんの口癖は、「んまい!!!」でした。


本当に食べることが大好きで、昨年末辺りから、なかなか
食べ物を受け付けなくなってきてからも、何とか食べたいものは
ないかと、必死で考えて食べていました。


最後に仕方なく入院した後、週末は帰宅してもいいと言われ、
最後に帰った日は、フカヒレの姿煮を食べたいといって、
一人で「んまい!!!」と言いながら完食していました。



昨年春、浜名湖へ旅行した時、イチゴ狩りをしました。
おじいちゃんは、値段が高いと、超不機嫌。
でも始まったら、楽しくて楽しくて、ご満悦顔になりました!


始め、ヘタを入れる袋にイチゴをつめているので、
「おじいちゃん、それはヘタ入れだから、持ち帰り袋じゃないよ」
といったのですが、ホテルへ着いたら、袋に何粒か
イチゴを隠し持っていました。


今年になって、このときの写真をみて、
「これは本当に楽しかった」と言っていました。


イチゴ狩り


昨年、私が妊婦だった時、川崎にラゾーナができて、
二人でお買い物に行きました。
牡蠣のお店があるから「生牡蠣が食べたい」と探して、
店の前に着いて、メニューを見ると、生牡蠣のメニューの
下の方に「妊娠中の方や高齢者はご遠慮ください」と
書いてあり、ガッカリしていました。


ラゾーナが気に入ってしまって、アメリカに留学中の弟が
一時帰国したときも、「連れて行ってやらないと」と
一緒に行きました。
妊婦の私、体調の優れなかった弟よりも、よっぽど元気で、
一人でキョロキョロと歩き回っていました。
その時は余命3ヶ月を宣告されていたのですが、とても
信じられませんでした。

おじいちゃんの名前は、「寛(ひろし)」。


子供の頃は、目が大きいので「目玉の寛(カン)ちゃん」と
呼ばれていました。


大正3年9月17日、品川生まれ。
九州の柳川出身のやんちゃなヘイゾウさんと、品川小町と
評された(?)キクさんとの間に生まれました。


父親似のやんちゃな弟一人と、妹が5人くらい居ましたが、
体が弱い子が多く、子供の頃や若くに亡くなった方が多いです。
今生存しているのはこの兄弟のうち、妹一人になってしまいました。


高輪高校出身で、26歳で祖母と社内恋愛の末に結婚ラブラブ
その一年後に出征。
衛生兵なので戦うことはなかったそうですが、終戦後
帰国しても、船から降ろしてもらえず、5年ほど帰ってこられませんでした。


帰国後、父親と一緒に畑をやったり、塩を作ったり
試行錯誤しながら、会社を設立しました。


その後娘三人をもうけました。
三女が同居し、夫が入社。
養子に入りましたが、結局離婚し、夫が出て行った後、
孫4人を自分の子供のように育てました。


その孫の一人が、長女の私です。
4年前、結婚式で祖父にエスコートされてバージンロードを歩く
という夢が実現しました。



wedding



2007年6月22日(金)

実家の祖父が亡くなりました。

92歳でした。



30歳になる今まで祖父母が健在で、花嫁姿、今年1月に生まれたひ孫の顔まで見せられた私は、本当にシアワセ者。

おじいちゃんが亡くなったことは寂しいけど、何故か心安らかな気持ちです。



そして、亡くなったという実感がありません。

いつも、「おじいちゃんならこう言いそう」なんて話題が尽きません。

どこでも、おじいちゃんの姿が目に見えるような気がします。



だけど、時と共に、記憶の中でおじいちゃんは過去の人になってしまうのかな。

それは仕方のないことだけど、ちょっと寂しい。



そこで、おじいちゃんと過ごした楽しい思い出を、思いつくままにちょこちょこ書いてみようかと思い立ちました。

小さなベビが居るので、じっくりは取り組めないけど、本当に思いついた時ちょっと書こうと思います。