たいようのこ -15ページ目

たいようのこ

旅行記を自分の覚書として残しているだけです。

それから何度かライブには行ったのだけど、
毎回ツアーに参加できたわけではなくて。

氷室さんが引退を発表した周南の時のツアーも参加しなかった。
けど、横浜スタジアムで引退と聞いて、
これは行かないわけには行かない!と、
そこからは友達に協力してもらって、チケット取って二日間行った。

特に二日目は忘れられないライブに。
氷室さんのコンディションが悪かった以上に、
天候が最悪だった。
元々雨の予報が出ていたので、レインコートは持参しておいた。

そして予報通り途中から雨。
いや、雨だけならまだ良かったのだけど、
ひどい雷雨に。
しかも、割りと近くに落ちてる。

これは前にブログで書いたから割愛するけど、
一時間以上狭い通路で待たされて、
ライブ再開したものの、
氷室さんから出た言葉は
「ごめん、限界だ。
 実は肋骨が折れている。もうこれ以上歌えない。
 本当に申し訳ない。
 必ずリペンジする。必ず!!」

その日からずっと待っていた。

元々氷室さんは、アルバムやツアーも何年か間が空くから、
この二年もそんなに長くはなかった。

今回のLAST GIGSのどこかで言ってたけど
「なかなかこのリベンジライブが決まらず、
 みんなを待たせてしまったけど。
 まぁでも、今までも俺は割りとスローペースでやってたから、そうでもないかな。
 でも他のアーティストなら、このまま引退って感じの期間だよね笑」って。


LAST GIGSのツアーが発表になって、
本当は全部行きたかった。
けど、まだ次女の受験が終わっておらず、
この先、家計的にもどうなるかわからなかったので、
それは諦めた。

そして、大阪初日を、れの友と、
東京2日目を大学時代の友達と、
本当のLAST GIGSは、高校時代の友達と、ある時期から一緒にツアー行ってくれてた友と。

離れたのは、決して気持ちがなくなったとかではなくて。

子育て期間に突入したから。
24で母になって、26で二人目、そして33で三人目。
なかなか、ライブに行くことも難しくなってしまっていた。
と、同時に、
GLAYとの出会いがあったから。

初めてGLAYを聴いた時は、
「BOΦWYに似てる?
この人の歌い方、氷室さん、意識してる?」って。
そう思ったのは私だけじゃなくて、
ブレイクした当時、割とそんな声は上がっていて。
似てるのは当たり前。
GLAY自身がBOΦWYをリスペクトしていたのだから。

なので、GLAYにハマってからは、
なかなか氷室さんのライブに行くことは出来なくなった。
土日、ダンナに預けられる時ぐらいしか行けなかったから、
それは年に数回、GLAYで使ってしまったからね。

それから、ある人との出会いで再び行くようになった。
その人とは、とあるスポーツ選手のファン同士の交流から始まったのだけど、
彼女もBOΦWYが好き、氷室さんが好きってことで、気が合い、
そこから何回か一緒に行くようになったから。


そして一生忘れることの出来ないSWING ADDICTION
氷室京介と、GLAYの対バン。
味の素スタジアムと言う、私の自宅から自転車で行ける距離で
こんな夢の対バンが観られるなんて、狂喜乱舞した。

5万人以上の観客でごった返し、終演後携帯電話も繋がらず、
現地で会おうと言ってた高校時代の友達とも連絡が付かず諦めてたのだけど、
突然背後から「陽子ちゃん!!」と呼ばれ、振り向くとそこにその友達が!
私の話し声が聞こえたらしく、そこで気づいたと。
5万人の中でよくぞ見つけてくれました!!笑
https://youtu.be/BfjCuRFrn1E

このSUMMER GAMEは一生忘れない。
私がBOΦWYを知ったのは多分、高校三年生の時。
BOΦWY好きからしたら遅咲きだった。

仲良かった友達たちと、放課後の教室でBOΦWYのアルバムを
ボリューム上げてかけて、踊ってた笑。
そしたら、先生が怒鳴り込んで来て
「コラーッ!!何やってんだ!!
定時制はまだ授業中だぞ!!」

クラス合宿では、大広間にお布団敷いてみんなで寝るんだけど、
消灯時間過ぎて、そろそろ半分ぐらいの人は寝てたところに、
私らが廊下でBOΦWYかけて
「踊り念仏~!!」って踊ってた。
(踊り念仏とはちょうど日本史で仏教の事を習った時に出てきた言葉で、
  私らの間でブームだった)
そしたら寝ていた人たちに
「うるさいんですけど!!」って怒られた。

高校は、進学校だったので、
秋から冬にかけては、全員受験勉強の真っ最中。
みんなで
「受験終わって、無事大学生になったらみんなでライブに行こう!!」
それを励みに勉強もみんな頑張った。

その年の12/24。
突然、解散が発表された。
耳を疑った。
まだ受験も終わってないのに。
その後、LAST GIGSの発表があった。
今みたいに、いろんな先行があったわけではなかったので、
一般発売が主流。
しかも、ネットなんかなく、電話で先着。

ダイヤル回線で、ジーコジーコダイヤル回してチケ発頑張った。
群馬からだから、東京03もダイヤルしなきゃなんだけど、
その「0」ってのがね。
ダイヤル回線にとっては、地獄なのよ。
(説明割愛。同年代ならわかるはず。笑)

繋がったのは、確か夕方の6時ぐらいだったかな。
ソールドアウトのアナウンスを聞いて泣いた。

友達も全員撃沈だった。

どうしても行きたかった。

4月に大学生になり、一人暮らしが始まった。
まだテレビも電話も繋がってないひっそりとした部屋は、
唯一、実家から持ってきたラジカセが頼りだった。
そのラジカセにはCDが付いていなかったので、
BOΦWYのアルバムは全部カセットにダビングしたものだった。

文字通り、擦り切れるまで聴いた。
テープってね、本当に音がどんどん劣化していくの。
伸びちゃうのかな。
でもそそれはそれで、自分の勲章でもあった。
今はituneで、再生回数なんかが簡単に表示されるけど、
あの時はそんなものなかったしね。

音漏れ聴きに行こうかも悩んだんだけど、
中に入れないのはやっぱり辛いだろうなと思って行かなかった。
今思えば行っておくべきだったね。


BOΦWYの解散後、割とすぐに氷室さんはソロ活動が始動した。
ソロってどうなんだろう・・・と思いながらも、
何本かはツアーも参加。
その中での一番の思い出は
「実は今日、息子が生まれました。
 名前を〇〇き、と言います」って、MCで言った事。
びっくりした。
プライベートのこと、結構普通に言っちゃうんだ?って。
その後も、奥様の事を少し話されたりしてたし、割とオープンだったんだね。

それから一旦、氷室さんから離れた時期に突入した。