・思考をひとつの対象に限定すること

瞑想するかしないかは別として、私たちは誰もが瞑想のもたらす心の安らぎを求めています。一人一人がこのやすらぎを得る方法、つまり独自の瞑想習慣を持っているのです。暖炉のそばで編み物をする老婦人も、夏の午後を川べりでのんびり過ごす船人もみな、時の流れを忘れています。これは、何かに没頭すると心が沈黙するということです。


思考をひとつの対象に限定できれば、絶え間ない内部のざわめきは止みます。実は物事に熱中したときに得られる充実感は、その活動そのものよりも、集中したことによって一時的に悩みや心配事を忘れるという事実から来ることが多いのです。


しかしこのような活動は、関心がそこに向いている間だけのつかの間のやすらぎしかもたらしてくれません。心はそこから外れると、またいつものとおり、ふわふわとあとどなく漂い始め、過去のことを考えたり、未来を夢見たりすることにエネルギーを浪費し、しょっちゅう目の前にある事柄から横道に外れてしまうのです。充足感を永続させるためには、瞑想で心を鍛える必要があります。


・自分の心の状態を観察する訓練

瞑想とは、自分の心が今、どういう状態にあるかつねに観察する訓練です。つまり、心をある一転に集中し、心を鎮めて真我を感じ取ろうとするのです。思考の波を止めることによって自分の本当の性質を理解でき、その内側に広がる智恵と静けさを思い出せるようになります。


ロウソクの炎やマントラに意識を集中し、たえず注意を集中の対象に引き戻し、心の動きを小さな円に絞っていきます。最初はどうしても思考があちこちさよいがちです。しかし、こつこつと練習を続ければ、心が一点にとどまっている時間を伸ばせます。最初、注意がまだ定まらない間は、瞑想というより単に集中と呼ぶほうが適当でしょう。


単なる集中と、瞑想の違いは、度合いの差であって、方法の差ではありません。ヴィシュヌ・デヴァナンダ師は項説明しています。「集中の際、人は心の手綱を引き締めている。瞑想中に入ると、もはや手綱は不要である。なぜなら、心はののずとただひとつの思考の波に乗るからである」。


※『ヨーガ 本質と実践』(ルーシー・リデル著 産調出版)p87より引用しました