影絵遊び
白い壁に影を映す。
1つ目
自分の2つの手で影を作る。
ウサギやら鷲、狐 と、色々。
私は、白い壁に両手で鷲の形を作り影を作った。
その鷲の形をした影を見つめていた。
するともう1羽の鷲がそこにあった。
だが、それをそのまま受け入れた。
何故受け入れるのか?
自分には手は2つしかない。
一羽の鷲を形作るのに自分の手は2つとも使ってしまっているのに。
第2の存在に何故気付かない。
それはネ。影だけを見てるからだよ。
影の部分だけが世界のすべてだと思って居るからだよ。
よく見れば、よく聞けば、よく知れば分かることなのに。
何故知ろうとしないのか。
鷲2羽寄り添って居るのは、あなたのそばで寄り添って居る誰かが居るからだよ。
2つ目
私は両の手で鷲の形を作って影遊びをしていた。
そこ得体の知れない影がかぷさってきて
鷲は鷲の形を無くした。
それをそのまま受け入れた。
自分は鷲作っては居なかったんだと受け入れた。
何故知ろうとしない。
その原因は何処にあるのかと、それはなぜかと。
それはネ。自分が何者でもないと思って居るからだよ。
こうであると思う心がないからだよ。
今朝起きたらね。
人を恨む気持ちがポツンと心の中にあった。
それを受け入れた自分が居た。
人間には心の中に増幅装置ってのがあってね。
心の中にあるものをどんどん大きくして行っちゃうんだよ。
その人を恨む気持ちが根っこをはやし初めてね。
何とも気持ち悪くなってね。
ふと気付いたんだ。
こんなものは私のじゃないってこと。
そんなこと
思うはずないって。
何かがおかしいと、その人を恨む気持ちを私の心という白い壁に投影している影の根元をたどってみた。
それはやっぱり私ではなく他に根元があった。
人を恨む気持ち。それは私のではないことに気付いて自分と切り離したらそれは無くなっていた。
人を恨む気持ちも時には自分を奮い立たせるための原動力になる。
しかし、持ち続けると自身をむしばみはじめる。
必ず改める時か来る。
それに気付かねばならん時がくる。
必ずだ。
気付いた時は苦しくもある。
いたらなかった自分を滅したくなるほどに。
しかし、それも越えねばならん。
自分だけではなくみながそうだと知らねばならん。
人の道なのだと飲み込まねばならん。
それを支える人にならねばならんと知らねばならん。
人は、それぞれが違うが皆が同じ。