無 | 【 楓 】

【 楓 】

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『 そこには何もないよっ!』

知識とは、知れば知るほど増えるものだが。
悟りとは、知れば知るほどなくなって行くものだ。

だから、知人は何も持っておらず何も持とうとしない。
だから探すこともなく欲することもしない。
ただ、やるべき事を一生懸命するだけだ。
人だから、迷いもするが
迷っても仕方がないことを悟り
ただ一生懸命やるべき事をする。
そうしているうちに向こうからやってくる。
探さずとも欲しがらずとも。
向こうからやってくる。
それを知っているから、迷うことも止める。
やってきたものが、自分が気に入らないものでも、今はこれかと、それさえも受け止める。
人であるから苦しみもする。
のたうちまわる。
さんざんのたうち回った後は
襟を整え正座する。
自分の心を知り人の病みを知りその心と向き合う。
そして明日へと歩きはじめる。
明日へと歩きはじめるとゆうことは。
死へのー歩一歩だと知っている。
死とゆうものはこの世界からの一時の別れだと知っている。
その際には持って行かねばならないものがあることを知っている。
それは、自らの磨かれた魂。
それを持って帰るために今、ここに居るのだから。
楽しむためでなく、悲しむためでなく、苦しむためでなく。
それらの先にあるもの気付き
気付いた先に何をするかどうするか。
どうできるか。
楽しみは楽しみに終わらず
苦しみは苦しみに終わらず
悲しみは苦しみに終わらず。

物事は深くあるものであって、突き詰めればきりもない。
また、物事は単独で存在するものではなくすべてのものにつながりを見せている。これもまた突き詰めればきりもない。
人は、物事を知っているかのように振る舞っているが、きりもないものをどうやって知ったのか。
知り得ないものをどうやって知ったのか。
自分の中で区切りを付けて、はいここまでと終わりにしたに過ぎない。
そうすることで自分に限界を作り出したことになる。
その者は、これ以上の成長は望めない。
自分とゆうものは自分でしか動かせない。
自分は自分に正直だからだ。
そこから先に道ができるのは、その先に道があるのだと信じるからだ。
道が無いとした者にとって、その先の道が存在するはずもない。
何があっても、信じることだ。
道は必ず存在する。
広く輝く道を想像すると良い。
広い道であれば、愛する者たちと手をとって歩くことができる。
輝いていれば、迷うこともない。
どう進むかは自分で決められる。
自分でしか決めることは出来はしない。