映像 | 【 楓 】

【 楓 】

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映像の中で誰かに「一つちょうだい」と言われた

私は飴のようなものを持っていたので

一つと言わず5~6個を手に取りその人に差し出した。

するとその人は何もない平らな所から何かを取り出そうとしている。

何もないところから取り出されたそれは片手に乗るほどの丸い物だった。

その人は私が差し出した飴のような白い丸い物を受け取るより先に、取り出したそれを私に差し出したのです。


その時思った。

与えようとしている物はそもそもどこから来たのか。
いつも思うこと。

与えて与えられて

それらはもともとは誰の物なのか。

どこから来たのか何故私の手元で私の物としてあるのか。


そんな事を考えていると手放すことを嫌がる意味が分からなくなる。




私は物を上手に使えない。
私が思うようには使えないのである。

だから他者に渡しそれを委ねる。

上手に使えない者は持たない方が良いと思うから。

より上手く使える人に委ねる。

私は生きていける分だけ有ればいい。


美味しい物はより美味しさを感じられる人に食べてもらう。

水も上手く使えない。
ただ無駄に排水溝へと流してしまう。

野菜を洗った水は草木に与えられるのに

米のとぎ汁も

顔を洗うときの水も上手く使えない。


洋服を買っても思うようには着こなせない。

その服が傷むまで大切に着て、ありがとうと捨てることが出来たときうまく着こなせたと思えるのだ。

私はお金が上手く使いこなせない。

いつも後悔の連続だ。
あの時何でこれを買ったんだろうと。

唯一納得できるのは両親に小遣いがあげられたとき。
生きたお金が使えたと思えたとき。

私は物を上手く使いこなせない。


シラー