今だから書くのだが…
あの地震の日。
お母さんと買い物をしていた。
すると、私の頭のあたりを白く濃い霧のようなものが右から左に横切った。
それを目で追うかのように天井を見ると白いもやのようなものが充満していた。
私はすぐにお母さんを家に送っていき私も自宅へと急いで帰った。
それから数分後地震がきた。
それからしばらくの間は混乱していたので生きるのに精一杯だったが
落ち着きを取り戻した頃に思い出した。
数ヶ月前から津波の映像を何度も見ていたこと
以前のブログにも書いたことがある。
生活していても"津波、津波"と何度も浮かぶ。
半ギレするほどうるさく言ってくる。
そんな想定も予測も経験もない私にその言葉だけで理解できるわけもない。
同じ頃から"黒い瓦""大谷石"と、これも何度も浮かぶ言葉。
地震がきて津波が起こる。
自宅の瓦が落ちて大谷石の塀は崩れ落ちる。
とゆう意味だった事にその時気づいた。
しかし、そう伝えてきたのは、これから起こる事を知らせることではない。
人とは、何かを理解するのに手持ちのものを使ってでしか理解し得ない。
つまりは、目の前に在るもの経験したこと常識と思っているもの、それら自分の小さな器の中に有るものを使ってでしか理解できないということ。
先を知ることなど何の意味もなく、難を逃れる事を良しとする事でもなく。
もっと大きな所にあるのだとゆうこと。
