『間違ってないよ…。』
と言っていた。
誰なのかは知らない。
それは数日前の事。
物事が順調に運ばす、二重三重の手間をとり
なにをやってもそんな調子の1日だった。
そんな夜、寝付けずにいると『間違ってないよ…。』と声がする。
間違いでもそれは間違いじゃない。
それはわかっていた。
それでも何故、その間違いじゃない間違いはそこに有るのか?それを考えていた。
そして、昨日と今日意味を知った。
お母さんが私と全く同じ間違いをした。
その時¨あぁ、私だ…¨と思った。
お母さんの間違いに振り回された私は怒ることが出来なかった。
人の間違いは自分の間違いである。
人の怒りもまた自分の怒りである。
人の痛みも自分の痛みである。
間違いも怒りも痛みもすべて連鎖して起こるものであり。一つのものとしてあるのではない。
怒りの底には痛みがある。
怒りに対して怒るのは愚か
間違いに対して痛むのも怒るのも愚か。
痛む人を痛めてどうする。
それは自分にとっても同じ事。
間違いを間違いとして間違いとせず。
今より少し先を見る。
その人の今だけを見ずに中をみる。
今、怒りに満ちている人の中は悲しさであふれている
暗闇にもがいている
痛むる人を痛めるな。
それより先にする事があるだろう。
そのためにその人は自分の目の前に居るのだから。
だが、時として鉄槌を下さねばならない時もある。
言いたくなくても、したくはなくてもやらねばならないこともある。
その時は、涙を拭ってする事だ。
今、杭を打たれているのは自分であると知ることだ。
