毎日見る映像の話を書かないのは、怖いから。
毎日起こる事柄を書かないのは、恐ろしいから。
上辺だけ簡素にまとめてメモを取るように書いている。
怖いのは、恐ろしいのは他人の目、もっと怖いのは自分自身なのかもしれない。
見えないはずのものが見え
聞こえないはずのものが聞こえ
知りもしない言葉が頭の中に浮かび
手が勝手に動く。
口が勝手に言葉を発する。
夢を見て、目覚めても夢は終わらず映像として続き
目を開いても映像は続く。
今見ているものはどの世界のものかと訳が分からないときもあった。
そこで見る映像の意味、紡ぎ出す言葉達が現実になる。
それらの大きさを私のふところにしまいきれていないのかもしれない。
『自分自身の納め方』
そう、物事は極端であってはならない。
右でもだめ左でもだめ
大きくてもだめ小さくてもだめ
白でもだめ黒でもだめ。
押してもだめ引きすぎてもだめ。
ちょうど良い塩梅はいったいどこにあるのだろ。
そこが分からないから怖いのかも知れない。
ちょうど真ん中は、端と端が分かって始めて真ん中を知る事ができる。
どちらの端もまだまだ知ってなどいない
だから自分自身の納め方も分からない。
まだまだだ…。
自身を納められずに他が納められるわけがない。
まだまだこれから…。
