おしゃべりついでに、実にくだらなくとるに足らない戯言を思うがままにつぶやいてみよう。
そこに円錐形をした大きな富士山ほどの建物を置いたとしよう。
その富士山のふもとでそれを見ても何なのかは分からず形も見えないが
遠く離れれば三角に見える
真上から見れば丸なのである。
同じ物を見ているのに意見が全く違うのである。
だからお互いに言い合いになったり、または同じ物について語っていることにも気付かないのである。
しかし、物事とは一つの面だけで語れるものではない事を知る者はそれが何なのか知るためにあらゆる角度から見てそれを知ろうとするのである。
それを知ってもまた知り得ないことをもまた知るのである。
なぜ知り得ないと思うのか。
それは、そこに時というものが関わっていることをも知っているからなのである。
としてまたその奥に、意図というものを見つけたからである。
だから、知る者は語らず聞くのである。
あなたは今どこから見てどう思っているのか。
今度は、あなたの心に写るその円錐形を見てみたいと思うのである。
心に写るものは人それぞれに違って見えるものだから。
そしてそれらの形を愛おしいと思うのである。
