見える | 【 楓 】

【 楓 】

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見えるものは仕方ない

聞こえるものは仕方ない……。


それが¨わたし¨なんだから……。




私は、目をつぶると映像が見える。

時には声を聞く。


それらはまるで謎かけのようで


答えなど無い。


これについてどう思うか?

と、常に問われる。


物事がそうなった理由は?

今、自分がしたことは本当に正しいと言えるのか?


ならば、こうならどうだ?

正しいものは本当にあるのか?


今まで恐れていたものは本当に恐ろしいものであったのか?


何を持って恐ろしいと思い込んだのか?


ありとあらゆる角度から物事を見つめ直し、そのものの核心へと近づいて行く。

答えなどくれない。


自分で探し求める。

そうしている内に、自分の世界が広がっていく。


どれほどの小さな世界に住んでいたのかを知る事になる。


そしてまた、これより遥か彼方に広がりゆく世界を垣間見るのである。




だが、私は思う……


何かを我がものにするにはそれなりの代償が必要だと。


私は映像や言葉により様々な事を知る事になるが


人はそれをうらやましいと思うかもしれない。


だが、私の日々の生活は私の求めるものではない。

うらやましいと言えるものではない。

何かを手にするには、安易に手にすることなど出来ないんだよ。


それなりのものを背負わなければならない。


だから私はこれ以上は何も欲っしない。


あるがままの自分に満足し、有り難く今日一日を過ごさせて頂く。


それだけで幸せなのである。

手の上に有るものは私に与えられたものであり、それをありがたいと思う。


喜びも悲しみも辛さもすべてひっくるめて私のものだ…。

怒りや悲しみは単独でそこにあるわけではなく


それらは、¨許す¨為に存在するのだという。


怒りという存在がなければ許すことなど出来ない。

許す為に怒りがある。

それに気づけば、怒りという感情さえ愛しくさえ思える。



どういった感情も、状況も愛しく有り難く見つめられる。


そしてまた、そうなれるように常に腹をくくって生きていく。



何より私は自分の中に困難を乗り越えたいという思いが有ることに気付いている。

まだ足りないと思っている。

望んでいるのだから試練は来る。

だから最大級の予想をして待ちかまえている。

それでも揺るがぬ自分であれるように。


何故、揺るがぬ自分で居ようとするのか…


それは、何時でも誰かのために何かが出来る自分で在りたいから。


この身が崩れていたら他者を支えられないから。


他者に寄りかからねばならなくなるから。


普段は寄りかかってばかりだけど、ここぞって時に強い自分で居られるように。

だから私は強くなりたいそして優しくなりたい。




怒りも悲しみも嫉妬もすべての感情は愛より派生したものだと言う。


それらすべての感情を合わせて一つの柱とすれば、とてつもなく太く硬い柱が天を貫くと言う。


揺るぎない柱……



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