クリニックから帰宅し、母に結果と息子を見てくれたお礼を伝えた。
すると、「今日は旦那君帰ってけえへんよな?夜とか大丈夫よな?」と返ってきた。
私の悪いクセで、こういう時に「体調悪いから夜まで息子の世話をしてほしい」とは言えない。
私が育った家庭は父と兄に問題があり、私は母をフォローしたり空気を読んで立ち回るポジションだった。
だから大人になった今も我慢するのが当たり前だし、言いたいことがあってもとっさに言葉が出ないことが多い。
母の表情に、「孫の世話で疲れたから、家に帰りたい」がにじみ出ているような気がした。
「経過も悪くないみたいやから、昼からは私一人で大丈夫」と言った。
母はホッとしているように見えた。
母が帰ってからは息子と二人、ダラダラ過ごした。
ゆっくり寝てはいられなかったけど、息子にはDVDを見て過ごしてもらった。
ボーッとしてると涙が出てくるけど、息子に気付かれないようにタオルで顔を隠しつつ、適当に相手をしていた。
「ママ何で最近よく泣いてるん?」
息子は気付いていた。
「ママのお腹に来た赤ちゃんが死んじゃってん。だから悲しくて涙が出てくるねん」
まだ5歳の息子に言うべきか迷ったけど、正直に話すことにした。
「ママが泣いたら心配やから、泣かんといてよ。僕はママが大好きやから、泣いてたら悲しい。ママ笑っててよ」
相手の気持ちを考えるのが苦手な息子。
言葉だけ見たら自分本位にも感じるけど、息子なりに私の心配をしているのが伝わってきた。
私を一番心配してくれたのは息子だった。
空気を読むのが苦手なはずの子が、精一杯気を使っている。
申し訳ない気持ちと、どこか温かな気持ちで半々だった。
旦那は相変わらず食事が手抜きだと文句を言うし、助けてくれたり寄り添ってくれる感じでもない。
近所に住む義理の両親も実の両親も、辛くても旦那や息子のために頑張らないといけないと言う。
母や嫁の立場である人間は、辛いからと休むべきではない、という考えが伝わってきた。
親しい人がいない旦那の地元で孤立無援だった。
「きっとコイツは助けなくても大丈夫だろう」
大丈夫だったんじゃない、大丈夫にせざるをえなかった。
家事育児も代わってくれる人おらんやん。
仕事だって休んだら嫌な顔されるやん。
やり場のない怒りと悲しみの無限ループだった。
体調は戻っても精神的にはどこかおかしいまま、12月に突入した。
この頃はまた、失った赤ちゃんを取り戻すことで頭がいっぱいだった。
漢方薬やら占いやら、普段やらないことにも手を出してみた。
そんなことをしても何も解決しないと分かっていても、何かせずにはいられなかった。
動きすぎては力尽きて無気力になり、涙が止まらなくなるの繰り返しだった。
特に息子と二人の時に無気力モードになってしまうので、本当に申し訳なかった。
そんな時、昔からの友達から連絡がきた。
以前子宮外妊娠をした彼女、再び妊娠して安定期に入ったらしい。
精一杯祝福の言葉を送った。
でもLINE何往復もやりとりする気力がなかった。
うらやましい。なんで私は12週の壁が越えられなかったんやろう。くやしい。
表には出さないよう気を付けていたけど、この頃は幸せで恵まれているように見える人が大嫌いだった。
しばらくして、クリニックから不育症の検査結果が出たと連絡があった。
結果を聞くのはこわいけど、もしかしたらまた、院長先生に会えるかもしれない。
期待と不安半々で検査結果を聞きに行った。
でも説明してくれたのは別の先生だった。
悪い結果ではなくて良かったけど、一言院長先生に挨拶がしたかったな。
混乱していた私を邪険にせず、悲しみに寄り添ってくれた人。
今でもお礼を言いたい気持ちを持っているけど、何となく気恥ずかしくてこのクリニックには近づけなくなった。
今振り返っても、あの時の自分はおかしかった。
表面上だけでも平常を保てたのは、息子と仕事のおかげだった。
息子は何がなんでも私が面倒みないといけないし、仕事も失いたくない。
あとはいつか絶対赤ちゃんを取り戻す。
(↑生みたい、ではなく本気で奪われたものを取り返したいという感覚だった💦)
この状態は娘がお腹に来てくれるまで続いていた。
ギリギリだけど、何とか前を向こうと必死だった。