2020年11月末に流産して翌年2月には次の子を妊娠、という荒業を成し遂げた私。
年齢的なリミットが迫っていることもあり、悠長なことは言ってられなかった。
幸いつわりもほぼ無い元気な妊婦だったので、仕事に家事育児にいつも通り動き回っていた。
でも内心は、また残念な結果になったらどうしよう…今度こそ色んな意味で崩壊しそうでこわい。
もう平然を装える自信がない。
何かあったらどうしよう。
毎日ビクビクして、ちょっと腹痛がしたような気がしただけでも不安定になっていた。
魔の9週、前回前々回流産してしまった11週前後は特に不安定で、毎日生きた心地がしなかった。
12週越えれば、少し楽になれるかも。
毎日仕事や家事育児をこなしながら、祈るような気持ちで過ごしていた。
12週を越え、少し気持ち的に安定してきた頃、私にとってショックな出来事があった。
年長に進級するにあたり、息子の発達について改めて保育園から指摘があった。
この頃の息子はまだ今ほど特性が目立っていなかった。
仲良しの友達もいるし、意志疎通もしっかり出来ている。
空気は読めないし相手の気持ちを考えるのも苦手だったけど、まだまわりも幼かったのでそれほど目立たなかった。
でもよくよく考えればまわりの子はルールのある遊び、複雑な工程がある遊び(折り紙やあやとり等)を理解できていた一方で、息子にはそれらが難しかった。
あとは人見知りしなさすぎて、知らない人に対しても友達や知り合いみたいにふるまうことも多かった。
社会性の遅れや手先の不器用さ。
自他の境界線の曖昧さ。
体の動きも何となくぎこちない。
今ならわかる。
保育園側は息子のそういった点を見抜いて発達相談に繋げ、就学先も支援級がふさわしい、という結論にいきつくよう道を作ろうとしていたんだろうなと思う。
当時の私は、そこまで気が付かなかったけど。
妊娠中にストレスは良くない、と思いつつも、園生活だけでなく就学後のことも考えないといけない。
息子が小さい頃、色々あって自治体の発達相談の場で軽くバトルになったことがあるので、正直発達相談嫌やなぁと思っていた。
でも、息子のためだ。
年長の初夏、安定期に入ってしばらくした頃に、久し振りに発達相談を受けた。
保育園の事務所で色んな検査を受けた結果は、小さい頃と同じようなものだった。
全体的にゆっくり、手先は不器用、運動面はギリ年齢相応。
何や、前と変わらん結果やん。
言われんでも分かっとるわ。
心理士さんに悪い印象を与えないよう、出来るだけ気を遣って対応する私。
するとおもむろに支援級の案内用紙を出してこられた。
今の息子さんの状態だと、支援級の方が安心して過ごせると思います、と。
頭に血がのぼったような感覚があった。
え、うちの子そんなに深刻なん?
異常ってこと?
確かにお利口さんタイプではないけど。
昭和生まれで平成一桁の頃に小学生だった私にとって、支援級は重い障害のある子が行く場所だった。
違う、息子はそこまでじゃない。
言葉を選びながら、支援級は考えていないと伝えた。
今の小学校の支援級は、お母さんが考えているような場所じゃないと言う心理士さんと、黙って見守る先生方。
しばらく押し問答が続いた後、決定的な事件が起こってしまった。
私が自治体関係者からされたことの中で、今までで一番許せなかった出来事。
万が一関係者が見ている可能性を考えて、詳細は伏せます。
一時は福祉職を志していた私が、支援の場では必ず守るべきだと思っていたことをアッサリ裏切られた瞬間だった。
やっぱり自治体はあかん。
あくまでお役所的、形だけ。
専門職としてのプライドはないんか。
戸惑いと怒りを感じたけど、その場で言い出すことは出来なかった。
元々自治体の発達に課題がある子への対応に疑問を持っていたけど、この一件で絶対信頼出来ないと思うようになった。
もう、子供に必要な支援があったとしても自力で探そう。
民間の児童発達支援や放課後ディの中から、息子に合う場所を探そう。
そう強く思った。
息子の発達、就学問題、コロナ、そして流産死産への恐怖。
無事妊娠継続出来ていても、相変わらず苦しいままだった。
それをまわりに気付かれないよう、必死で表面を取り繕いながら生きていた。