
自殺について。
じゃぁ、私の話をしようか。
じゃぁ、私の話をしようか。
本気で死にたいと思ったのは中学1年の時。
今、生きているのは誰かが助けてくれたとかそういう美談ではなく単に私に「死を選ぶ勇気」がなかっただけ。
当時、自殺する中高生のニュースを聞くたびに本気で「羨ましい」と思っていた。
遺書の内容を知るたびに泣いていた。
家族以外の前で食事することが出来なくなり、部室の棚の上で空き時間を過ごすようになった。
そして、家族と音楽しか信じられなくなった。
そして、家族と音楽しか信じられなくなった。
ちなみにそのとき好きだったのはJUN SKY WALKERS。
小学生まではどちらかというとお山の大将だったので、いじめの矛先が自分に向かって来た時、何がなんだかわからなかった。
あの地獄のローテーションに自分が組み込まれるなんて考えたこともなかった。(いじめがローテーション制で行われてる学校でした)
あの地獄のローテーションに自分が組み込まれるなんて考えたこともなかった。(いじめがローテーション制で行われてる学校でした)
引き金はわかったけど納得いくものではなかった。
そして、変なプライドのせいで親には言えず、楽しく学校へ通っているふりをし続けていた私の精神はかなりあやういところまできてた。
そして、変なプライドのせいで親には言えず、楽しく学校へ通っているふりをし続けていた私の精神はかなりあやういところまできてた。
机が廊下に置かれ、ロッカーが蹴られて潰され、新しく買った革靴が焼却炉にあり、移動教室から戻ると黒板に罵詈雑言書かれ、悪口だけが書かれたノートが回されて・・・
クラスが少なかったから、ほぼ全員にシカトされる状態・・・
暴力がなかっただけましなのかもしれないけど、精神的な暴力はここに書けないほど受けていた。
まだ友達がいると信じていた頃に「帰りにご飯食べよう~♪」と誘われて出かけたら、私の分だけ席がなかったことが数回。1回目はふざけてるのかと思ってたけど2回目で「あれ?もしかして・・・」と気付くのが遅かったよね。
そしてまだ耳に残ってるのは別の話し合いで集まってたときに、全員がいきなり私のことについて話し出した時のリーダー格の子の最初の一言。
そしてまだ耳に残ってるのは別の話し合いで集まってたときに、全員がいきなり私のことについて話し出した時のリーダー格の子の最初の一言。
面と向かって言われたことは自分を見つめなおすきっかけになったけど、その子に対してだけは負の感情しか生まれなかった。他の子が言ってる事は身に覚えあったし、たいていの人は右へ倣えじゃないと気分が悪いんだと言うこと、異端は受け入れにくいということがわかったんだけど、その子の言い分だけは納得がいかず。実はお互い様で私はもともと苦手だった。
私にとってその子の一言は今でも禁句。
一回書いたけど、消しちゃった。実際はたいした言葉でもないし、罵倒でもないのにね。
それから・・・前にローテーション対象だった子と「こんなことあったのよ」って電話で話した次の日に、その子が私の情報をリーダー格のグループに流した事を知って激しくショックを受けた。(それまでも電話で何度か話してたから信頼してたんだよね)
その子にしか言ってないことが黒板に大々的に書かれてたからなぁ、衝撃でした。
そうだよねぇ、強い方についた方が安泰だもんね、当然だよね。
今、考えるとそう思えるんだけどそのときは余りのショックに思わず左腕に彫刻刀つきたててたね。
切るんじゃなくて血管の上につきたててた。
今でも平刀の痕は綺麗に残ってる。
自殺する方法はいくらでもあったのに、生きてるのも辛いのに私は怖くて死ねなかった。
そして親の気をひくために、母の財布からお金を抜き取った・・・数日後、抜き取ったはいいが使えなかったお金ごと両親に見つかって説教されながら、とうとう自分が学校であっている件について親に話した。
「まだ理解できてないけど、私が悪いんだと思うの。いじめられるほうにも責任があると思うんだけど、○○の言ってることだけは納得できないの。」
楽しく学校へ行ってると思ってた両親は愕然としたんだと思う。
「学校に話したら更にエスカレートするからやめて欲しい」と伝えたんだけど、母は担任に連絡した。
結果、それは正解だった。
1ヵ月半は辛い日々が続いたけれど、クラス替えでリーダーグループから離れることが出来た。中高一貫の学校なんだけど、高校を卒業するまで同じクラスになることはなかった。
クラスが変わって最初の1ヵ月はまだバタバタしたけど、いつのまにか私の周囲は落ち着いて仲良く出来そうな子が何人か出来た。
実際はローテーションでターゲットが変わっただけだったんだが。
中3以降はそれなりに人との間に壁を作って、自分の本当の気持ちは外に出さない当たり障りのない生活を送り始めたけど、「死にたい」という思いはまだ心の中に抱えていたままだった。
高校になるとそれまでとは違った友人が出来始め、日々が楽しく感じられるようになり「死にたい」という思いが自分の中でどんどん小さくなっていくのがわかった。
そして、大学になり好きな学科に進学するとその思いは完全に消滅した。(と思った)
18歳になってやっと学びたい(勉強も、人生も、遊びも)という思いが「死にたい」という思いに勝ったのだと。
人間、欲が出ると強くなるのかも知れないね。
18歳になってやっと学びたい(勉強も、人生も、遊びも)という思いが「死にたい」という思いに勝ったのだと。
人間、欲が出ると強くなるのかも知れないね。
ただ、人との付き合いは今でもとても難しく思う。
「なんでこんな私なのに誘ってくれるんだろう?なんで一緒にいてくれるんだろう?」
「もしかしたら、また私の不用意な発言で遠ざかってしまうかも知れない」
不安は今でも抱えている。
内緒話をしている人を見ると自分の悪口を言われてるんじゃないかと被害妄想に陥る。
人を信じ過ぎて裏切られた時のショックに私は耐えることが出来ない。
あの時期に折れてしまった私の心はおそらく修復不可能なんだと思う。
折れてしまった部分をつぎはぎながら修復してその上に出来た新しい私は、なんとか社会でやっていけてる気がしてた。
折れてしまった部分をつぎはぎながら修復してその上に出来た新しい私は、なんとか社会でやっていけてる気がしてた。
しかし、崩壊は簡単に訪れる。
数年前に母がいきなり中学時代のリーダー格の名前をポロっと口にした。(母と向こうの親は知り合い)
その途端、私が壊れた。
呼吸しずらくなり(ヒステリー球かな)、涙は止まらない、感情のセーブが出来ない。
そしてフラッシュバック。
ある程度、克服したと思っていたのにね。
トラウマになってました。
トラウマになってました。
今はそれすら分析でき(素人判断ですが)、ここに書いたり、信頼できる人に話せるまで回復している。
それは今の環境のおかげ。
私にあの時、「自殺する勇気」があったなら今の暮らしは確実になかった。
もしかしたら「その程度のことで自殺なんかするんじゃない」と先人に断られていたのかも知れない。
もしかしたら「その程度のことで自殺なんかするんじゃない」と先人に断られていたのかも知れない。
自殺しなくて良かったと心から思ってる。
「自殺なんてばかげたこと」「家族に申し訳ないと思わないのか」と言う人たちの気持ちもわかるけど、どうしようもなくてそれを選ぶ人の気持ちもわかる。
本気で死にたいと思ったことがあるからこそ、真剣に考えたい。
「自殺」を選ぶということ。
人それぞれに理由があるんだろうから、一概に否定も出来ない。
ただ、「大勢を巻き込むのはどうか?」とは確かに思う。
硫化水素にしろ、鉄道自殺にしろ・・・
でも、死に逝く人はこの世から解放されたいから他人のことなどどうでもよくなっちゃうと思うんだよね。
難しいな、これを考えるのは。
さらに日本人は自殺を美と考える場合もあるし。
ほんとに、難しい。
私は毎日のブログでわかるように今は毎日楽しく暮らしてる。
あのとき、勇気がなく良かった!と心から思える。
こういう心を持てたのは家族やミズタマ氏や今の私の友人たちのおかげ。そして、勉強して少しばかり知恵のついた自分のおかげ(笑)
なんだか月並みだけど
「辛いことがあっても生きてたら楽しいこともある」
金銭面で助けることは出来ないけれど、もしかして志願者と話したら少しは力になれるのかな?
中高生で「こんないじめを受けていて死にたい」って人がいたら話を聞いてあげたい。
前に友達に話したら私が受けたいじめだったら普通に自殺コースだよって言われたしね。
支離滅裂でどうしようもないけど、このへんで。