私ははっきりいってラーメン好きじゃない。相方が大好きなもんだから、つきあいで結構有名なラーメンを食べ歩いている。だから結構詳しかったりする。


奥多摩ののんきやと五日市?の美豚はピカ一で、ラーメン嫌いな私でもたまに食べたくなる。


それ以外ならトンコツ系ならまぁ、そんなに外れはない。


ラーメンの中でも王道であろう醤油系がとにかく好きじゃない。春木やも、八王子ラーメン(上手いと評判のほとんど全店行ったが)どれもまずい。そういうときは相方にほとんどあげちゃうし、どうせただ飯だからいいけど、食った気がしない。金かえせー(相方のだけど)とどなりたくなる。


なーぜに日本人の大半がこんなにラーメン好きなのか全く不明。邪道なラーメン店で、餃子ライスだけでも食べて出てきたい感じ。ラーメンてさ、結局代用食、間に合わせじゃね?


もちろんカップラーメンも滅多に食べない。


でも私の母はどんなラーメンも好きだったなぁ。


私はとにかく嫌い。仕方なく食べるもの以外のナニモノでもないよ。


パンなら好きだなぁーカロリー高いから思いっ切り食べられないのがくやしい位で...


パンがないならお菓子を食べればいいじゃな~い?!そんなアントワネットも好きだ

ってさ、昔はよくあったことだと思うけど、目の当たりにするとまだ小6だった私には衝撃的だった

猫の去勢や避妊なんて最近はするものとされているけど


広いお屋敷に住んでいた明治生まれの祖母は、猫部屋で猫を適当に飼っていた。出入りも自由だった。一体何匹いたのかしらない。当然のことながらどんどん増える。で、産まれたら、目のあかないうちに土に埋葬。なぜそこに私が立ち会ったのかわからない。衝撃的だった。鮒やネズミの解剖なんてことも教育であったわけだし。趣旨は違うかもだけど、人間のために殺されていく生き物は多い。自然界に住む以上は綺麗ごとばかりじゃないわけで...


昔はペットのつもりだった鶏がシメられて食卓にのぼるなんて普通のことだったことを考えれば、そんなこともありなのかも。中絶と同じような感覚?

クリスマス頃になって赤鼻のトナカイを聞くと思いだすちょっぴり悲しい思い出


あれは小学校3年の年末だった


両親共倒れ、一人っ子だった私は祖母の家で1カ月か2か月か引き取られたのだった。祖父は既に亡くなっていた。広大な敷地に立つ、以前はピアニストが住んでいたという10数部屋ある洋館に、日本家屋が増築され、庭の池にはコイが泳ぎ、防空壕となった岩の上には裏山があり、さらに地続きでその他2軒家があった。そのうち1軒に従妹一家が住んでいた。改めて文字にすると今では考えられない豪邸だな。母の実家であったが、その後没落して全て手放し、切り売りされて、今では3軒以上の家が建っている。私の父は世事にうとく私の家は決して裕福ではなかったからその洋館に住むことはなんとなく誇らしくはあった。


だが、祖母は孫も子供同様に扱う人で、掃除は上から、とかそれまで甘やかされきった私にはそれは辛い修行(?)の日々だった。厳しくしつけてもらえなかった私にとって後にそれは良いことだったと思えたのだが...当時ぱんぱんに太っていてお世辞にも可愛いとは言えない私の外見も祖母は嫌いだったと思う。私でもそうだろうと思う。子供の肥満ははっきりいって親の責任だよね。


そんな修行の日々の中、家をぐるりと囲む長い廊下を掃除しながら、真っ赤なお鼻のトナカイさんを歌って、よく涙をこぼしていた。自分がトナカイのように世間から笑い物というか必要とされていない存在である気がして。でもトナカイは役割をもらって生きる希望を得たから、たぶん自分もいつかそうなれると…今振り返るとそういう気持ちだったのだと思う。自分には何の力もない、周りはみな凄い、自分には価値がない、他の人と違ってる、というネガティブな感情が色んなコンプレックスとともに渦巻いていた。


今では解消できたコンプレックスや考え方を変えたり、諦め(笑)で、だいぶネガティブな感情はなくなった。

今年は「赤鼻のトナカイ」を演奏して人に聞かせる自分がいて、必ずといっていいほど歌ったり、聞いたりすると涙ぐんでいたのに、そんなことがなくなった自分を年とったな、とも思う反面、今の自分がいてよかったな、と思えた。


そんな祖母のことは亡くなった今でも決して嫌いでない。一方的に好きだったんだのかな。

その祖母とのエピソードをまた書いてみようと思う。