釣り好きの人は、水のなかに動くものがあれば、魚だと思ってしまう。

ヘビ嫌いの人は、草むらにロープを見つけただけで、飛び上がってしまう。

妊娠している女性が街を歩くと、なぜか同じように、おなかの大きい女性だけが目に着く。

つまり、人の視覚は、意識に左右される。

意識されないモノは、目に映らない。

興味深いエピソードで、西暦1520年、世界一周を目指す、マゼランとその一行が、
南米最南端のフェゴ島に上陸した。

その時、一番驚いたのはフェゴ島の住民達であった。
 彼らには、マゼラン一行が、どうやって上陸したのかが理解できなかった。

世界の大海を制した、4隻の大型船団に視界を遮られること無く、
彼らは、いつものように、地元の湾の水平線を見ていたのである。

当時のフェゴ島の人々は、小さなカヌーしか知らなかった。
彼らの意識には、大型帆船は想像すらしなかった。 

存在しないモノは、見えなかったのである。
この事実は、その後、再訪のときに、
島民からマゼラン一行に話した事から判ったと言う。


もう一つのエピソード。

ただの一度も、登山をしなかった人がいて。
彼が見た高い山と言えば、はるか西の空に富士山を眺めただけと言う。

そんな彼が、ひょんな事から、「ヒマラヤ」ツアーに出かけ、数日間、標高の高い村に、ツアーの一行、数十人と到着。

朝霧に煙る、ヒマラヤの巨峰が眼前に迫って見えると言うガイドの指示に、すぐに一行の大きな歓声が上がった。

しかし、彼には何も見えない。
視力には自身があるのに、彼の目に映るものは、ぼんやりした、薄雲だけだった。

皆はあんなにも感動しているのに、彼には何も見えない。

そんな彼に対して、ガイドはニッコリ笑ってうなずいた。

『あなたの様な人が、神を見るのです』
そして彼の肩に手を置いて、薄雲を指してこう言った。
『もっと高い、もっと大きい山が、あそこにあると思ってください』
ガイドが指した方向を仰ぎ見て、彼は愕然とした。

まったく突然に、ソレは出現した。

彼が薄雲だと思っていて、眺めていたのは、雪におおわれた巨峰の山肌だったのだ。

それは、彼の想像を絶する大きさだった。

ガイドが、『あなたは、神を見る』と言う意味がわかった瞬間であった・・。

まったく突然に、見えないモノが見えた、なんて神々しいンだと思える瞬間であった。