2月31日火、一色歴史ポタ①。

まずは、赤羽根別院親宣寺へ。

 

1.針曽根八幡社修福寺編

2.竃神社編

に続いて、

 
赤羽別院親宣寺。
 

 

史跡 赤羽根古城跡

 

 

西尾市 指定史跡

赤羽根古城跡

最後の城主と思われるのは、高橋出羽守政信であり、今川氏の勢力下にあったころ、

 東条城主吉良義昭に属していたため、

 永禄4年(1561)西条城主酒井勢(松平元康の家臣)に攻められて落城した。

 

東条、西条の、両吉良氏が争っていたころですね。

 

 

 

 

真宗大谷派(東本願寺)

赤羽別院親宣寺

 

江戸時代、岡崎出身の御家人本目親宣は、江戸に勤めながらも、

 地元である三河の国に先祖のための菩提寺を建てたいと考えていた。

この地はかつて本願寺の蓮如上人開基の道場跡で、西尾城主土井利意に懇願し、

 親宣に与えられることになった。

 

そして、親宣は、寺の名前がもらえるように東本願寺にお願いをし、

 親宣寺という名前を与えられ、1798年には、東本願寺の別院となって、

 赤羽別院親宣寺となった。

その後、1938年に、現在の山門が完成した。

山門は三河で一、二を争うほど立派なもの。

しかし、1945年の三河地震によって、本堂と山門以外の署殿が倒壊し、

 さらに、1959年の伊勢湾台風によって本堂が倒壊した。

山門だけが残された赤羽別院だったが、1965年、本堂と書院が新築され、

 現在の姿になっている。

 

 

石の上に乗っかっているだけ。

これで1938年から、三河地震にも、伊勢湾台風にも耐えている。

山門のみ。

やはりこの造り、強いんですね。

 

 

山門の彫り物。

 

 

 

 

高須治兵衛翁旧里の碑

 

このあたり、高須という姓が多いらしい。

すぐ近くに高須病院がある。

高須クリニックの高須克哉が理事長?を務めている。

 

 

 

 

 

吉良氏800年の軌跡
一色氏・吉良氏ゆかりの地
赤羽別院親宣寺
現在は浄土真宗大谷派の寺院ですが、戦国時代までは城
 郭を構えていたようです。
城主には一色氏の名前もみえますが、戦国時代には吉良氏被官高橋氏が護っていたようです。
市指定史跡「赤羽根古城跡」として現愛に至っています。
 
本堂。
 
山門と比べるとシンプル。
 
 
4.赤羽別院親宣寺後編 に続く