11/9(土)、西尾歴史マイスター資格試験の勉強の気晴らしに、ミニベロで近所をポタポタ。
 
に続き、
 

 

東条城。

三の丸から、合戦場、藤波畷を望む。

東条城落城の戦。

松平信康(徳川家康)に攻められ、東条吉良家、東条城城主、吉良義昭、落城する。

 

 

 

 

 

 

三の丸から、本丸虎口、物見櫓を望む。

 

 

 

 

足利吉良氏が勢力を誇っていたころ、

 東条城は、東条吉良氏の居城として栄華を誇っていた。

十二代吉良持広は、松平清康の死後、遺児仙千代(家康の父・広忠)の親代わりとなり、

 松平一門の危機を救った。

仙千代の子、徳川家康は、のちに東条城を攻め、十四代義昭で東条吉良家を滅亡させる。

しかし、天下を掌握した家康は、

 十三代義安の子、義定を旗本に取り立て吉良家を再興する。

これが江戸時代の高家吉良家の始まりである。

しかし、高家吉良家も、吉良上野介義央が元禄赤穂事件で滅亡することになる。

 

 

二の丸にある八幡社。

 

 

明日は即位の礼のパレード。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年は、吉良氏800年。

1221年の承久の乱の後、足利義氏が三河国の守護になり、吉良荘の地頭を兼ねた。

この年を吉良氏発祥と数えて、再来年が800年ということです。

義氏は北条政政子の妹の子。

義氏は長男長氏に西条城(のちの西尾城)、三男義継に東条城を与えた。

ちなみに、長氏の子国氏は、今川氏を名乗り、今川氏は今川義元まで続く。

 

 

 

東条吉良氏滅亡の戦場、藤波畷。

 

 

物見櫓。

 

 

虎口。

 

5.東条城本丸物見櫓編 に続く