「吉良邸討ち入りは忠義だったのか?資料から見る江戸時代人のとらえ方」・林知左子講演


11/7(土)、歴史講演会を聞いてきました。

最近こそ減ってきたが、かつて日本は、12月になると、
 芝居や映画で「忠臣蔵」が繰り返し上演されていた。
それは、日本人が好む、武士道精神、勧善懲悪、の最たる物語だから、
 というのが通説だが、本当にそうなのか? というお話。

西尾市吉良町は、吉良上野介の領地で、
 吉良上野介は殺されてもおかしくない悪者だった、という汚名を晴らそうと、
 「元禄赤穂事件」の真実を研究している市民町民が多い。

また、西尾市岩瀬文庫は、全国随一の古書博物館で、
 「元禄赤穂事件」関係の資料もいくつか保管されている。
その岩瀬文庫学芸員の林知左子さんの講演。

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会場は、西尾歴史公園内、旧近衛邸。

イメージ 2お抹茶の街西尾市、盆栽もお茶の木。

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講演の後にお抹茶と和菓子も頂けます。

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こんな感じで親戚の法事のあとの和尚の説教みたいな雰囲気。

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プロジェクターを使った90分ほどの講演。

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終わってお菓子とお抹茶をいただく。

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なかなかおもしろかった。

紹介された資料は、
「関東下向道中記」・柳原資廉 西尾市岩瀬文庫蔵
「吉良上野介書状(細川越中守宛)」 熊本博物館蔵
江戸に滞在中の近江商人の書状
「大石十八ヶ条」 西尾市岩瀬文庫蔵
「赤穂義人纂書」・鍋田三善編 西尾市岩瀬文庫蔵
「徂徠赤穂四十六士論」・荻生徂徠
「復讐論」・佐藤直方
いずれも、お芝居、映画の「忠臣蔵」で描かれている内容とは違う。

江戸時代当時でも、討ち入りに対する意見は賛否両論で、
 明治までは「元禄赤穂事件」を、調査、総括しようという動きが、
 学者の間であった。
荻生徂徠のような当時のトップエリートの学者も、
 浅野は吉良を殺そうとしたが、浅野を殺したのは吉良ではない、
 よって、浅野の家来が吉良を殺すのは仇討ちではない、と明確に論じている。

お上の法に背いて大罪を犯し罰せられた浅野の家臣が、
 吉良の寝込みを武装して集団で襲い、多くの者も道連れに惨殺した行為は、
 現代の言い方で言うとテロ行為であり、
 仇討でも忠義でもない、という意見が多かったようだ。

しかし、その後の日清日露から太平洋戦争戦争の時代、軍国主義者にとって、
 「忠臣蔵」は、国民の、忠義、忠臣の精神を高揚するには
 うってつけの物語であった。
「元禄赤穂事件」を研究、総括することをやめてしまった。

八紘一宇アジア解放という大義のため、お国のため、主君天皇陛下の御意志と、
 盲目的に突き進み、あわや日本滅亡というところまで
 止まることなく突き進んでいった。
赤穂浪士の敵の寝込みを襲うやり方は、真珠湾攻撃でも繰り返された。

また、現代社会においても、イスラム原理主義のテロリスト、
 我こそ正義と言って世界中に戦争を仕掛けているアメリカ、
 紛争戦争は絶えることが無い。

今こそ、きちんと「元禄赤穂事件」も総括すべき、
 という講師の最後のことばに共感を覚えた。

質問タイムで、質問ではなく、
 国民の理解を改めるために、吉良側から描いた「元禄赤穂事件」、
 または、吉良上野介の妻、富子の視点で描いたドラマを、
 NHK大河ドラマなどに売り込んだらどうか、
 それができなければ市で映画を作ったらどうか、
 という熱い要望意見が出ていました。
実際、市長は働きかけているそうで、そうなるといいんじゃないかな。

「元禄赤穂事件」以来、毎年12月14日、吉良の華蔵寺で営まれる「毎歳忌」は、
 今年は月曜なのでお参りに行くことができないが、
 前日13日の第2回吉良サミットは予約申し込みをしているので聞きに行きます。

せっかくなので、歴史公園を散策して帰る。

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イメージ 10チャノキ。

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会場の旧近衛邸。

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