だいぶ経ってしまいましたね。

今年は日本、アメリカ、中国、韓国のリーダーがそれぞれ交代する年(オバマは再選したけど)ということで激動の年のように見えたけど、僕の生活には何の変化もありません。


選挙結果もおおむね予想通り自民党の大躍進ってことで。

僕の自宅のある埼玉1区も自民党候補が当選しましたね(民主の候補は比例復活でした)。

いわゆる「第3極」があまり議席をゲットできなかったのが予想外ですが。

やっぱ国民は自民党の安定を求めてるのね。


それにしても、気になることが1つ。

橋下徹が参院選に出るらしい。正確には出るつもりらしい。兼職ができるように法律を改正しようと試みてるけど、いよいよ本性を現し始めたなぁーって感じです。


大阪府知事→大阪市長→参議院議員


と、1こでも「やり遂げた」ことあんのかあの男には?


僕には結局のところこの男が何をしようとしているのかが見えてこない。

「日本の統治機構を変える!!」っていうのは理解できるし、必要なことだと思うよ。

けど、じゃぁなんで府知事から大阪市長になったのさ。

大阪市長にしかできないことやりたかったからじゃないの!?

それができてないうちになんで2足のわらじを履こうとするのさ。まったく。


三原じゅん子が兼職なんかできるわけがないと批判して、

橋下がやってみなきゃわからないと答える。


やってみなきゃわからない。とりあえずやらせろ・・・・・・・・・???


どっかで聞いたことのあるフレーズですね。まぁいいけど。


俺は2足のわらじ自体は別にいいと思うよ。

けど、橋下の参院選出馬に不快感を持つのは、裏に隠れてる野心が見え見えだから。

テキトーにポンポン仕事を途中で投げ出して、1つもやり遂げないで何をしようとしているのか。

市長も府知事も国会議員の踏み台じゃない。

参院も衆院の踏み台じゃない。

どーせ、次衆院が解散したら鞍替えするんだろ。


自分の目標をためにどーしても国会に出る必要があると思うなら衆院選まで待ったほうがいいと思いますよ。ええ。


野心を否定するわけじゃないけど、露骨すぎてすごく不快。

衆院選公示日が明日にせまってきた。

埼玉一区からはだれが立候補するのか楽しみ。

まぁ、俺は投票できないけどね。


原発、領土問題、TPP、米軍基地、拉致問題、少子高齢化、朝鮮学校、憲法9条、地方と都市の格差、高い自殺率、年金、デフレ・・・・・

そして、いわゆる世間では論点にすらしてもらえてないけど、当事者が苦しみを訴えている問題はこのほかにもいっぱいあるはず。たとえば、性的マイノリティの人権とか、成人年齢とか!!


解決すべき問題は山積み。

そして、それは投票を前に有権者が考えるべきことの多さを意味する。

これだけの問題を短い選挙期間で深く考えることなんて不可能だから、常日頃からこの国がかかえる問題を注意深く分析して自分の考えを持っておくことが、質の高い政治家を国会へ送るためには非常に重要なことだと思う。

たまにテレビでやってる小1時間の各党代表がやってる浅い議論を見ただけで考えた気になってはいけない。


それなのに、国民に問題意識を提供する役割を担うべき政治番組にはイライラする。


テレビタックルとか。

政治家とか評論家たちが「一応は」マジメに議論しているところに、あの3人が質の悪い、きわめて質の悪い笑いを挟んでマジメな空気に水を差す。問題の本質に入ろうとしているときにいつもあの3人がジャマをする。見ていてとってもイライラする。


朝まで生テレビとか。

他の政治番組と違ってバラエティ色を排除してたり長い時間を議論に費やせるのがいいところなのだが、司会者がいかんせん人の話をきかない。司会者は議論の進行が仕事であって、自分の意見や知識をひけらかしたり、他人の議論を遮るのが仕事ではない。せっかくの番組の長所を司会者が破壊しつくしている。見ていてとってもイライラする。


もうないけど、太田総理とか。

この番組が上に2つよりはるかに不快であった理由は、バラエティ色を出し過ぎたからに尽きると思う。子役とか芸人とかアイドルとかにテキトーなコメントをさせるあの感じ。知識のない芸能人が浅知恵でコメントしないでほしい。


別に政治とバラエティーを一緒にすることを絶対にダメだというつもりはないけど、もしそうするのなら、マジメにやってほしい。自分の信条をお笑いを通じて主張するのは構わないけど、マジメな空気をくだらない冗談でジャマしないでほしい。


とにかく、俺はマジメに問題意識を共有させてくれる番組が見たい。

くだらないチャチャのないちゃんとした議論が見たい。

そこまで言って委員会がそれに近い気がするけど、出演者は全体的に保守色が濃すぎて気持ち悪い。保守より6人、革新が田嶋陽子1人、アイドル枠1人。出演者が8人だから、4人保守で4人革新にしないと議論が出来レースになってフェアじゃない。みんなが田嶋陽子をいじめてそれを見ている視聴者が楽しむ、そんな保守派のサロンに見えてしかたない。そしてアイドル枠がジャマ(この番組のアイドルはほとんどしゃべらないからマシだけど)。アイドル枠を無くして、田嶋陽子のほかに社民党だか共産党だか「市民団体(笑)」から人を呼べばもっといい番組になると思う。


時間無制限で1つのトピックを延々と議論し続ける番組があったら面白いと思う。今回がTPP、今回が領土問題、今回は・・・って感じで。

きちんと出演者全員はフェアに発言させて、きちんと話をきく、質の高い司会者で。

バラエティ色を徹底的に排除して、各分野のエキスパートだけを集める感じで。


そういう番組が次の選挙までに生まれると嬉しいと思った。





社会を正確に知る必要がある・・・・


というのは僕のいる大学の入学試験に出た文章の冒頭なのですが、その通りだと思います。すべての進歩は現状を直視することからはじまる、と誰かが言っていました。社会がより良い方向に進歩していくためには現在の社会の状況を正確に把握している必要があります。そうしないと、政治家も行政も民間団体も仕事の計画を立てることができないからです。そして、社会学の存在価値というのはここにあります。


 社会学というのは、「現在の社会の状況を正確に把握」することを手助けする学問です。社会学者は統計分析や(計量調査法)フィールドワーク(質的調査法)を通じてなるべく正確なデータを集め、それらを学術的に冷静かつ客観的に分析することで、「現在の社会はこうなってますよ」という情報を論文などで提供しています。それらの研究成果が政治や行政あるいは民間団体の行動計画に影響を与えることで、社会の進歩に貢献しています。


 ところで、社会学者が提供する情報と一般の人が日頃見聞きする情報ではやはり差があります。前者は学術的な調査によって、後者は、伝統、常識、メディア、あるいは個人の経験によって形成されているものです。

 伝統、常識、メディアの必要性は当然大きいのですが、これらは必ずしも正確なデータや理論的根拠に基づいているわけではありません。そして、個人の経験に関しては、大きな問題をいくつか抱えています。Overgeneralization(少数の事例だけを見てそれが全体にあてはまると判断してしまうこと)、Selective observation(自分の都合の良い点だけを観察してその他は無視すること)、Premature closure(途中でめんどくさくなって思考停止すること)の3点です。人間は意識しないと勝手に脳がこの手法で観察をしだすので、人間の無意識の観察に基づく「経験」というものは、正確なデータとはとうてい呼べないのです。つまり、「俺は生まれたときから日本にずっと生活してるから日本社会についてよく知ってるよ」ということにはならないのです。

 社会学者は、伝統、常識、メディア、経験などから入る情報の不正確性を十分に認識して、これらに囚われず、かつ批判的に分析する視点を持って、正確なデータを収集することを目指しています。一般の人が試みるとどうしても不正確になってしまう社会の分析を、専門的に正確に行おうとするところに社会学の真価があります。



社会学の価値を感じていただけたでしょうか?

こんどは社会学者はどうやって「正確な」データを集めるのか、というお話をしたいと思います。

メンミク(ゲイ向けSNS)をろくすっぽ更新しなくなってから半年以上が経つんだけど、更新がにぶってからやたらとウリ専や招待制SNSのおさそいメールが届くようになった。


ナゾのSNSは熟年ゲイの出会いの場・・・的なところに転送されてオッチャン達の餌食になるというメカニズムは解明したけど、ウリ専の誘いはなんなんだろう?

俺はたぶん世間的なイケメンとはかけ離れた存在のはずなんだけど・・。

顔ぜんぜんキレイじゃないのになんで誘ってくるのかな・・・・。

入店するときにいろんな名目で金を巻き上げて、あとは指名が入ろうが入るまいが放置プレーなのかな・・。

なら活発に更新してるユーザーにメッセすればいいのに・・・。


いろいろナゾだなぁー

 「社会学」って聞いて何を研究しているかをすぐにイメージできる人は意外と少ないと思います。


 数学は数字を、文学は文章を、医学は人の体を、歴史学は歴史を、という感じで、だいたいの学問は研究対象がはっきり見えます。けど、社会学の研究対象である「社会」というものはそうではないですよね。「社会って何?」って聞かれてさっと答えられる人はそんないないだろうし、社会学者たちの間でも共通の定義なんてないです。正確には、それらが意味するところはだいたい一緒なんだけど、言い方がまちまちということです。

 でも、社会学者が好んで使う言葉には、「相互作用」とか「関係」というモノがありまして、要するに、社会とは「複数の人間が相互に関係しあっている空間」のことです。たぶん。

 だから、家族もある意味で社会です。お父さん、お母さん、兄弟・・・と相互に関係しあうことで生活が成り立っているからです。学校のクラスも社会です。男子、女子、いじめっ子、いじめられっ子、人気者、嫌われ者、活発な子、シャイな子・・・という感じで人間同士の関係が存在します。そんな感じの小さな社会が集まれば地域のコミュニティ、自治体、地方、国家、世界・・・とどんどん大きな集まりになっていきます。これらはみんな社会です。住民の地域社会としてのコミュニティ。コミュニティの集合体としての自治体。・・・国家の集合体としての世界。・・という感じです。社会という言葉が指すモノはとっても広範囲です。

 ジンメルという社会学者は、人と人の関係を糸にたとえました。糸と糸の結び目、つまり糸が交わる点が人間です。彼曰く、社会とは人と人の関係としての糸が重なった織物なのです。


 では、社会学者とは何をする人なのでしょうか?

 簡単に言えば社会の研究をします。ジンメルの言うところの「織物」の柄を分析します。この織物はこんな柄だよーっていう説明をします。ただしそれだけではなく、どうしてこういう柄なんだろう?って考えたり、ここが破けてるよ!!って感じで社会の不合理を指摘したり、こういう感じの柄にすればいいんじゃない?と提案したりもします。

 

 たとえば、男は外で働いて女は家庭を守る!といったスタイル(これは近代社会に独特のシステムなので「近代家族」なんて呼ばれたりします)がなぜ成立したのか、ということを分析するのは家族社会学の仕事です。


 なぜ世界には豊かな国と貧しい国があるのかといったことを社会学者ウォーラースタインの「世界システム論」やフランクの「従属理論」などを使って説明しようとするのは国際社会学です。


 「カルヴァン派の予定説が人々の経済活動を促進して、結果として資本主義社会の発展のきっかけになった」というようなことが書いてある、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本は歴史社会学の研究の一例です。


 ほかにも、電車の中でケータイで会話したり、ガラスを鏡替わりにして髪型チェックしたりすることに不快感を持つのはなぜか?みたいな研究をした江原由美子という社会学者もいます。


 これらに共通してることは、人あるいは人の集まりの間にある「相互作用」だとか「関係」を研究してることです。そして、人の集まりといえば、家族だって国家だって人の集まりですから、上の4つの例にあるように、社会学の研究の範囲もとっても広くなります。


 さて、社会学がどんなコトをする学問かがわかっていただけたでしょうか!?

 こんどは、社会学の意義のお話をいつかします。