自分が自分たらしめるもの、それは何?いくら考えてもわからない。顔…?では、事故や整形で顔が変わってしまったらその瞬間俺は俺では無くなるのか?違う。書類の上、周りの意識の上、俺の中、いずれも顔が変わろうとも俺は俺。では顔は関係ない?己が己たらしめるもの。性格…?いや、考えや性格はある時、瞬間的に大幅に変わってしまうことがある。ではそれが自分の身に起きた時、俺は俺で無くなるのか?違う。それでも俺は俺でしか無い。それ以上でも以下でも。己が己たらしめるもの。意外と答えが無い。しかし、もしも自分が自分たらしめるものに答えが無いとすると、俺は俺以外の誰かになれうるという事になってしまう。実際なれるのか?それでは名前に意味など無くなる。事実、他人に成る事など不可能だろう。では己が己たらしめるものに答えはあるはず。何を誇る。何を残す。何が自分。地球上、溢れかえった人間共々、見境は何処にある。例えば坂本龍馬は何故坂本龍馬なのか、そして何故誰も坂本龍馬にはなれないのか。何故?それは歴史上、坂本龍馬を経験したのは彼しかいないからだ。そしてこれからも。今は無数の過去の上に成り立つ、何処までも細かく切ることの出来る時が猛スピードで流れる、全てを一致させることはできない、故に完全に同じ経験をすることは出来ない。だから過去を含めた膨大な時の中、彼は彼しかいないのだ。つまり彼を彼たらしめるもの、それは彼の過去そのもの。同様、自分を自分たらしめるものは自分の過去そのものなのだ。過去を完全に一致させることは出来ず、そのため自分は自分以外になることは出来ない。不思議だ。生きるのは今、今を生きるのは自分、自分は過去。過去までが自分、未来は何者?過去と未来に挟まれた自分は何者?今は未来?