価値観に正解はない。みなそれぞれの考えの元生きる。そう思ったのは3ヶ月前。しかし価値観に正解はあった。結局お金が全てだと思ったあの日、価値観に正解は無いと思ったあの日、いずれの価値観もそれを決めたのは誰?紛れも無い、自分自身である。つまり己がルール、自己中心?いや違う。人生とは何か?過去、未来あるものの結局生きれるのは今、この瞬間、莫大な時の中たった一点でしか呼吸する事は出来ない。つまり人生とは自分自身でしか無いのだ。そして価値観とは人生を彩る物、同じ事象であれ価値観により違う色に見える事ばかりでしょ?つまり価値観は無色の自分自身を彩る色そのものなのである。誰しもが無色。それは当たり前でしょ?考えを持たなければ人型の容器に過ぎない。それを価値観を持ってして彩る。何色が好き?そんな問いにすら答えはある。青色が好きなら”青色が好き”これが紛れも無い答えであり次の瞬間に好きな色が変わっていようともその場では答えなのである。簡単な事、当たり前のこと、なぜ今まで見えなかったのか、人は一色では無いからだ。1人の人間は多くの面を持つ、数え切れないほど、その一つ一つの面に色を持つ。だから複雑に、ついには曇り、最後には見えなくなってしまう。人はなぜ感情を持ったのか、ただ他を食べて食物連鎖に生きる上で必要は無い物なのにきっと感情は楽しかったのだろう。喜びも悲しみも振り返ればなぜか一緒くたに綺麗に見える。成り立った今の上で過去を美化する。何歳になってもそうだろう。己からの正解、誰かから見れば間違い。しかしそれでいい。皆そーやって己がルールで生きているのだから。例え主人に使える奴隷でさえ、主人に使えなければいけないという考えの元動く。嫌なら舌を噛み死ねばいいしかし生きたいと言う色を持ち、本当は嫌だと言う色もまた同時に持ちながら使えなければいけないと言う色も持つ。紛れも無い、己がルール。そう、そうなのだ。誰しもがそう。誰しもが常に自分が正解なのだろう。もらった言葉、吟味するのは自分。協調性、実は自己中心性。無意識かつ反射的な物。あたりまえ。価値観、自分で決めた色。人生、筆に色を付け書いている絵の事。そう!人生は絵なのだ〜wwwwwww