
黄金山にある仁保島城址の案内板
案内板に書いてある文は
城の起源は不明ですが、室町時代の後期にはすでに実在し、
府中白井氏の支城であったといわれ、のちに大内氏に属し、さらに毛利氏の支配下におかれています。
この城は広島湾の重要拠点となっていたので、
局地的な戦場となり弘治元年(1555年)の厳島合戦の際、陶軍が来攻し、
城将香川光景が撃退したなどの話が伝わっています。
現在テレビ塔のある山頂付近が城の主要部があった場所です。
遺構が消滅してるので、詳しい規模は分かりません
と書いてあります。
多分テレビ塔がある場所は第二次世界大戦のときに
高射砲陣地とかが置かれたのではないかと推察しますが
それらの事には触れられていないので
私の想像の中だけかもしれません。

ちなみに仁保島城となってるのは
今は広島市の三角州の中にある山ですが
昔はここは島だったからです。
いつ頃つながったのかは不明。
