
広島県竹原市大久野島の船着場から右手に向かうと発電場址の標識があります。

このトンネルを抜けると発電場址があって、恐らくこのトンネルには門があったであろうと
思われます。

海側には昔の船着場があって、ここから重油などの燃料を搬入していたのでしょうね。

なんだかよく分からない英語での表示

喫煙許可と書いてある表示
英語での表示は戦後米軍が進駐してきた時に書かれた物かも?
喫煙許可の表示も戦後かも知れませんが、発電所ということで可燃物が多いので
ここでしかタバコを喫煙できなかったのかもしれません。
どちらにしても文字のフォントが昔風で、最近書かれた物とは違うと思います。

ざっと奥まで見渡しました。
かなり規模の大きい発電所みたいです。

発電所の建物
外壁だけが残されていて、何層か階があったみたいだけれども、残っていないみたい。
外からの日差しが建物を浮かび上がらせていて、廃墟がとても綺麗に見えてます。
蔦とかが絡まっていて、時代を感じてしまいますね~
映画とかのロケでも使えそうです。
もっとも、建物の中には入れないみたいですが・・・

建物が大きすぎて全体が入らないです。
これより後ろには入ってきたトンネルの壁があってさがれません。
全体を撮るには広角レンズが必要ですね。

発電場址の説明が書いてある
私はこの看板を見るまで知らなかったのですが、
「ふ」号作戦の準備はここでも行われていたのですね。

「ふ」号作戦というのは俗に言う「風船爆弾」の事で、主に北九州の小倉で製造されていた爆弾です。
ドイツがV1というロケットをフランスからイギリスに発射する以前に大陸間弾道弾を
実用化したと聞いた事があります。
詳しくはここでは書きませんが、本来長崎に落とされる原子爆弾の最初の目標が風船爆弾を
製造していた北九州の小倉で、たまたま天候が悪かったので
長崎に攻撃目標が変更になったらしいです。

職員の詰め所か倉庫かよく分からないけれども発電所址の横にある建物
中に入りたかったけれども、柵がしてあるので無理でした。

でも保存状態はいいよなぁ~
昔の建物はそれだけ頑丈に作られているという事でしょうか?

発電場の番人

何も説明してくれないけれど、近づいてきたよ。
チップにウサギの餌を少しだけあげました。

この時にコートのポケットの中のウサギの餌の紙袋が破れて、後でポケットを掃除するのに
苦労してしまいました。

別の出口から外に出て北部砲台址に向かいます。

途中 坂道より発電場を望む
やっぱ絵になるなぁ~
基本的にここ大久野島は無人島なので(国民休暇村はありますが)民家が無いので
手付かずの状態で今まで保存されていたので保存状態が良いです。
下草とかの整備は多分市とかがやってるのでしょうが
家の近くの二葉山の高射砲台址に比べれば、断然こちらの方が良いです。
毒ガスの島として売り出すよりも、戦争遺跡が保存状態が良く残ってるといった方が
観光客が沢山来ると思うのだけれどもどうでしょうか?