
多家神社本殿の手前の長い階段を登って振り返ると遠くに黄金山が見えました。

三角州をはさんで昔は島だったらしい黄金山を眺めると、町並みは大分変わったのだろうけれども
こうやって昔の人も眺めていたのだろうと思ってしまいます。
海岸線が今よりも大分こちら側にあったので町並みのほとんどの場所は浅い海だったのかも?

階段の傍から多家神社の本殿と右手奥の建物が宝蔵です。


宝蔵の建物と説明の看板ですが、多家神社は建物を説明した看板が多いので割と分かりやすいです。
書いてある内容はよく分かりませんが・・・

宝蔵といっても、中には宝物なるものは保存して無いと思います。


ここが本殿です。
神社としての規模は広島城の中にある広島護国神社と比べても遜色が無いくらい大きいです。
撮影した日も神社の中で、お参りしている人が(たぶん七五三かと)いました。
撮影し忘れたけれども、大きい馬の像がありました。
なにかいわれがあるのでしょうね。
そういえば

神社の参拝道には狛犬が門番の代わりに居ますが。

お寺の山門にはよくこんな感じの金剛力士像が門番として守ってますよね。
タイとか仏教が盛んな海外の国の場所のことはよく知らないですが
仏教が日本に入ってきたときに、神社の狛犬が金剛力士に変化したのかもしれませんね。
あくまで私個人の考えですが・・・
日本人は色んな文化を取り入れるのが上手なので、なんとなくそう思ってしまいます。
長崎の天草諸島のマリア観音とかは有名ですよね。
ひょっとして東京の上野の西郷隆盛の像を両脇に置くと最強なのではないでしょうか?
金剛力士みたいな西郷さんと狛犬みたいな犬を連れているので
