「嵐の夕べに」 | 坐韻通信

「嵐の夕べに」

いま台風13号が長崎の近辺にあり、当処も今夜、暴風雨とTVやラジオでしきりにがなり立てています。

 しかし、大分市は、まだ少し風は強いものの、雨も大したことはありません。 一応、海辺の店の台風用の準備を4時に終わって、帰宅してきたところです。

 関東の方は、いつも電話で心配してくれて下さります。 しかし、毎年台風が3,4本は頭上を通過するこちらでは、そう大騒ぎすることでもなく、ある意味、簡単なドアや窓などの対策をするだけです。

 土砂崩れや、洪水で大被害、大災害を受けた方々は本当にお気の毒で、言葉もないのですが、大体の場合、東京を中心としたメディアは見当違いの騒ぎ方で、時折、辟易します。 地方のことが少しもわかってないことが台風以外でも、しばしば見受けられます。 情報の発信地が、不勉強な東京に集中していることが、いまの日本の病的状況をよく象徴しているような気もします。

 

 僕の仕事のアンティークの世界も同じことで、特に家具関係では雑誌でまとまな記述を見たことがありません。 例えば、写真の家具の名称、年代、素材など、しばしば余りにひどい誤記が目立ちました。アンティーク家具屋さんの言った通りを、何も知らない編集取材の若い方が、そのまま記載していると想像されます。

 勉強好きな編集の若い女性もいらして、何度か相談を受けたことがあります。 僕は日本での第一人者である鍵和田先生を存じ上げてはおりませんが、先生の書物は読ませて頂いていました。 ですから、僕は「協力していただけるかどうかわかりませんが、鍵和田先生に取材をおねがいしてみては」とお応えしました。

 その後、彼女から電話で、気さくに会って下さり、お話を伺いましたとの喜々とした声で報告があり、先生の解説が掲載された冊子が出ました。


 先日、最も一般向けに売られていた雑誌から、「今回、編集の見直しをして、本格的なものを取り上げたい、うんぬん」との電話を頂きました。

 若い青年には気の毒でしたが、アンティークというものへの誤解をまん延させてしまった責任を感じてほしい、そのための勉強をちゃんとして記事にしてほしい旨を語気強く語ってしまいました。 話し終わったあと、いうまでもなく、非道く落ち込んでしまいました。

 でも、眼をちょっと周囲に移すと、誤った知識、誤った認識はいま、この国のあらゆるところに流布浸透し、何が正しく、何が間違いであり、何が思いやることであり、何が迷惑であるのか、どうすることが愛することなであり、どうしたことが傷つけたことなのか、つまり、人間の本質的な実存するということの意味が混沌としてしまっているということに気付く。

 嗚呼、年ですね。 きょうもこんなこと記してしまって・・・。


 余談ですが、天下の朝日新聞が、最近TVで「ジャーナリズム宣言」とやっているのには、少々がっかりしました。 じゃあいままでの朝日はそうではなかったの、と。 朝日がこう言わなければならないほどの現実もわからぬまではないが、もっと違った宣言の仕方はなかったのか。 かように感じています。 ジャーナリズムを捨てたジャーナリズムとは違うという宣言と実行を僕は希望します。

 

                  アンティークス坐韻 店主

                  www.antiques-sein.com