「プルーストの部屋」
畏友の画家、武石憲太郎さん(大分在住)が描いてくれました。
憲ちゃんの人柄がしのばれる絵になっています。 もう描いていただいて十数年が過ぎて、いい具合に背板と馴染んでいます。
この絵にはモデルがあります。
現在、マルセル・プルースト・ミュージアムとなっている、プルーストが住んだ伯父の家のキッチンです。
プルーストの作品を象徴する場です。
この部屋の佇まいというか、空気感というか、とても気に入っていて、彼に「この部屋をモデルにして描いてもらえんかなー」と頼んだら、二つ返事。
一週間後、あっという間にシナベニアに彼らしいデフォルメと色合いで描かれたこの絵看板を件の絵画道具山積みのボロバンの天井に乗せて、彼はやってきました。 いつもの満面の笑顔で。
「まあ、こげな具合いになってしもうたけど、ごめんなー」 と。
僕はさっそく昔から知り合いの看板屋のオヤジに頼んで、この壁に取り付けてもらったというわけです。
彼は数少ない本物の画家です。 売ろうなんてこびは絵の中にありません。 国吉のような哀愁をたたえた風景画を近いうちに紹介したいと思っています。
実をいうと、ぼくらは同い歳で同じ会社に勤めていました。 彼が僕より2年前に絵画一本で往くことを選び、退職した後、僕は「もういいだろう」ということでアテもなく突然辞表を出して無職になりました。 この点でも彼と僕とではハラの座り方が違います。
お互い会社にいたころは、僕が図案にいって 「これお願いします」 といって彼の机の上に注文を置くと、彼はただ表情も変えずに、「ハイ」と小さな声で応えるというほどの関係でした。
それが僕も辞めて、プラプラ荊妻と国道を歩いていた時、絵画道具一式、キャンバス等々を詰め込んだ彼のボロバンが信号でとなりに停ったのでした。
そして、「なにかえ、あんたも辞めたらしいな」と坊主頭の彼は、子供のような懐かしくて美しい笑顔で顔を崩してくれたのでした。
それから、新しい彼とのつき合いが始まったというわけです。
戦後の現代美術の代表的作家であった、故宇治山哲平先生が最も愛した弟子でもありました。
アンティークス坐韻 店主