話としては、盛岡に行った時からの続きなのですが、

その会合に集まった人、行けなかった人の近況を聞くと

やっぱり古希前後になると、ヒトの寿命というものを意識してしまうのです。

 

特に暗い話ではありませんが、この歳になると、学生時代の同級生や先輩後輩、

会社員時代の同僚・先輩後輩もみな同じように歳をとってくるので(みんな平等です)、

自分が病気になった、妻の具合が悪い、というのはよく聞く話で、

亡くなったという訃報もたまにあります。

 

やっぱり人間には寿命がある、という思いにたどり着き、

前に書いていたブログを思い出しました。

 

そのブログのタイトルは、「寿命とバスタブ曲線」

バスタブは、そのまま湯船の形ですね。

 

今から11年前、読んだ本の話を以下のように書いていました。

 

-------------------寿命とバスタブ曲線---------------------------

人体やモノの診断技術に関する本を読んでいたら、
バスタブ曲線というのが出てきました。
要するに人であれば寿命が来る前、モノは壊れる前にその状況を
診断し、適切な処置を施せば、寿命なり故障を延ばすこのができる
というお話の本です。
バスタブ曲線というのはこういうものです

 

機械とかのモノでも(人の寿命でも)、使用期間(年齢)とともに
故障(死亡)の割合を計算すると、こういう曲線になるというものです。
機械の場合の初期不良は、人でいえば乳幼児の死亡に相当しますし、
機械の寿命は人でも老齢化に伴う寿命にあたります。

これを見て、なるほど人にもあてはまるんだ、と思いました。
このバスタブは左右の高さが同じになっていますが、
人の場合は左側(生まれてすぐ)は結構低いだろうし、
魚類はたくさん生んだ卵が他の魚などに食べられてしまうので、
左側がとても高くなっているでしょう。

---------------- 11年前に書いたブログ、ここまで-----------------------

 

人も70歳くらいになってくると、上の図で、急に右肩上がりになる

あたりに差し掛かってきます。

故障率というのは、罹患率とか死亡率というのに相当します。

人間も”故障”すると、修理(入院や治療)や廃棄(死亡)になります(笑)。

 

平均寿命が50歳くらいだった江戸時代の死亡率をいい加減な想像で書くと、

以下のようになるかもしれません。

 

横が年齢、縦が死亡率(%)で、赤枠がバスタブの形になります。

当時は、人間50年と寿命も短く、乳児の死亡率も高かっただろうし。

江戸時代の古希は、本当に「人生七十古来希なり」だったのでしょう。

現在の70歳は、江戸時代の45歳頃に相当するのかもしれない・・。

などと、ヒマジンはつまらない空想をしてしまいました。

 

気を取り直し、公園に行くと

今日は暖かく、季節外れのセミ(つくつくぼうし)が鳴いていました。

 

何て言ったっけ、これは年中色づいているモミジ。

 

枝先にとまった、アキアカネ、か。

 

ロープにとまっているのも。

 

桜も咲いていました。

十月桜とか冬桜という種類ではなく、

普通のソメイヨシノ。

 

こちらは枝垂れ桜。

 

どこかのオジサン「あれ、これは桜ですか?」

私 「そうです、桜です。毎年今頃咲いていますよ」

 

この前まで猛暑日はもうやめてくれ、なんて言ってましたが

ようやく暖かい穏やかな日々がやってきました。

秋近し、です。