2011年3月11日東日本大震災から現在まで
2011年3月11日わたしは幼稚園の卒園を控える息子と友達親子といつものように公園で遊んでいました。
大きく横に揺れた後は携帯電話もつながらず、古い店のおじいちゃんのボロボロラジオから宮城県の地震らしいと聞きました。すぐ、コンビニに飛びこむと店内は真っ暗停電。手打ちレジで頑張る店員さんからおにぎりを買いました。携帯がずっとつながらないので、コンビニの前の公衆電話から小銭をいれて夫や親戚に無事を伝えました。夫は東京から交通網マヒで多分今晩は戻ってこれないとのこと。
隣の一人で暮らすお爺さんにおにぎりを渡しに行くと他の近所の方が既におにぎりや飲み物を持ってきてくれていてあれこれ話しました。近所の人がロウソクをくれました。お爺さんの安心した顔を見てメラメラと力が湧きました。母力全開!不安に負けてる暇はない!おりゃ~っと娘を連れて行列に並んで、乾電池とトイレットペーパーと米を買い、夫の帰りを待ちました。ガスが使えたので、ご飯は圧力なべで炊き、停電のため懐中電灯を家中からかき集めていると「ママ!これも使えるよ!」と子供が小さな手で工作の可愛いライトを持ってきてくれました。その灯りが小さくとても優しく揺れていました。心が温まりました。子供たちと抱き合って人の温かさに感謝しつつ一夜を過ごしました。
翌日、電気がつくようになり、テレビを見た時に津波の映像が何度も映し出されていました。同じ日本で起きたことと頭が受け止めきれずに、ショックのあまり「ママどうしたの?」と無邪気に聞いてくる子供にうまく説明できずあふれる涙を抑えきれませんでした。夫が戻ってきてくれた時は本当に嬉しかった。
家族と暮らせること、雨風しのげる家があってご飯が食べられること以上に求め過ぎていたのかもしれない。日々の暮らしをもっと大切にしよう。心から思いました。
家庭を守ること、自分に生活能力をつけることに完全に意識が変わった後は、資産運用への情熱は強火から弱火に変わっていきました。海外不動産も売却しました。
「良く暮らす」「身近な人を幸せにすること」を強く意識するなかでの必要なツールとしての「資産運用」となりました。
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そして現在に至ります。
国内投資から13年、海外投資を始めて10年が過ぎました。
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現在は主婦とパートをしながら家事の合間に、資産運用を楽しく続けています。
より安定したリスクの低い投資を探しながら続けております。
このブログで伝えたいこと
㋹日々の暮らしが基本(健康、精神的安定)
㋹暮らしに投資をちりばめる(投資資金を貯める、仲間と情報交換)
㋹震災にも耐えられる安定した運用先に投資
㋹これまでの資産運用の種類、用語説明、体験談
㋹夫や家族への投資協力をどう取り付けたか(我が家の場合)
㋹子供への金融リテラシーのシェアの仕方(我が家の場合)
㋹投資で増やした後の話(納税、相続、贈与、セカンドライフ、)
㋹増やしたお金を何に使うか?(再運用、ご褒美、シェア、ギフト、ユメをカタチに)
以上の話をアンテイゆう目線でお話しします!
資産運用の成果は、運用開始から10年で、
㋹ ただ今無借金生活(持ち家、車あり)
㋹ 年金受取推定額程度は資産運用で毎年収入として得られるようになってきた。
㋹ さらに次の運用10年で夫の給与収入レベルの運用収入をめざしていきたい!
どうぞこれからよろしくお願いします!!