0歳から大学卒業まで

 

北海道生まれ。国立公園の中にある田舎町で育つ。

 

小学生の時は、男の子の子分(!)が学校に行く時に迎えに来るほどのオトコらしい女の子だったらしいです。木登り、粘土作り、山菜とりなど楽しい子供時代を過ごしました。

 

不思議な話としては、小学生高学年の時に大学生になった自分を見たことびっくり

あれは、茨城県のつくば万博に祖母が連れて行ってくれた時のこと。

パビリオンを見回って、休憩スペースを訪れた時に突然、未来の大学生となった自分がパッと見えた(笑)!私の目前に広がる芝生にそぼろ3色弁当を友達と食べていたのでした!あれから7年後、筑波大学の食堂で同じそぼろ3色弁当を見た時は超驚きました!そして友人を誘い、弁当を食べて、一人感慨に浸りました笑い泣き

 

万博の後、科学に興味を持ち、小学校の頃「新イソップ物語」を読んで、感銘してファンレターを送ったノーベル賞受賞者の江崎玲於奈さんが在学中に学長になり、先生の学長名で卒業証書をいただけたのもすごく嬉しかったことでした。

「江崎玲於奈」の画像検索結果

(小学生なりの江崎ダイオードの感想を書いたらご家族から丁寧な返信をいただきました。

今なら読んでも理解できないかもえーん

 

専攻した臨床心理学は恩師・国分康孝先生に師事を仰ぎました。本当に朗らかで、謙虚、好奇心旺盛で「人間が大好きな」先生でした。

残念ながらご逝去されましたが、葬式で再会できた顔は変わらず穏やかで、今も心の中で私を励まし続けてくれています。

「國分康孝 無料画像」の画像検索結果

(著者多数:私も読み切れてません)

 

22才から34才のころ

 

大学卒業後、地方市役所に就職。

児童相談所と保健所で相談員として通算10年以上勤めました。

 

警察署、裁判所、刑務所、生活自立支援施設、養護施設、学校、精神科などの機関と連携して非行、身体障害、療育手帳の交付、発達障害、青年期ひきこもりなどの面接や家庭訪問、アセスメントをしていました。

 

現場を通して、子供の側に誰かがいて感情を共有してくれる大切さを痛感。

(兄弟でも祖母でも父でもだれでもいいと思います)

自分が子育てする時は、

「贅沢が許されるなら、私が母として近くにいて子供を見守りたい」と思っていました。

 

実際は真逆の生活をしていました。フルタイムで心理職をしていた時は、仕事をしていない時も子供に授乳をしていても気付けば、クライエントの診断、アドバイスについて頭がいっぱいでした・・。

朝から晩まで保育園の送迎など時間との戦いで夕食もフランパンごと食卓に出す、なんて超手抜きで仕事優先家庭後回しの忙しい生活をしていました。

 

願いがかなったのか?夫の転勤を機にすっぱり仕事を辞めることができました。

 

その後は、家族が帰る場所を一番に優先して生きてきました。