映画『ゆりかごを揺らす手』を観た。
早朝の閑静な住宅街を走る一台の自転車。
乗っているのは福祉協会から派遣された障害をもつ黒人で、わざわざフードを目深にかぶり、怪しい雰囲気を醸し出している。
ホラー映画だという予備知識はあったから、“コイツが魔の手か!?”と腰を浮かせたのですが、全くのハズレ。
本当の魔の手は、うっとりするくらい美しい未亡人でした。
絵に描いたような仲睦まじい夫婦、可愛らしい少女、知的障害があり純朴なソロモン(アーニー・ハドソン)…、彼らは暖かな日差しと小鳥のさえずりが似合う朗らかな日々を送っていました。
そんな調和を保ったメロディーのような毎日に、不意にノイズが差し込みます。
ノイズは、やがて波紋のように大きく連鎖し、ついには取り返しのつかない不快な反響となって家族の生活を崩壊させました。
新しい命を宿して幸せいっぱいのクレア(アナベラ・シオラ)は、ある日、病院で産婦人科医に診てもらうこととなります。
しかし診察の際、その産婦人科医はあろうことか“性的な触診”を行ったのです。
クレアの性器を触診する際、手袋をはめると見せかけてこっそり外し、股ぐらへ手を突っ込み、“ゴニョゴニョ…”な触診を行ったのです!
…青年時代の私なら正直にこう叫んだでしょう
“何を羨ましいことをしとるんだ!”
でも、今はおっさんになって、分別もついた私。
クレアの心境さえつぶさに察知できる心の余裕をもったのですよ。
悪を憎む裁判官のように冷静かつ毅然とした態度で、心の中でこう叫んでおきました。
“何て許せない奴だ!(歯ぎしり)”
…そう、もちろんこのわいせつ行為を許せなかった夫婦は、放っておけば第二、第三の被害者が出ると思い、悩みつつも医師会にこの産婦人科医を訴えます。
すると、同じ思いを抱いていた女性が何人も後に続いてくれたのです。
(私は触られなかったわ!という屈辱の声が裏では噴出したかも知れません。)
こうして絶望の淵に立たされた産婦人科医…、何と心労から自殺してしまいます。
これによって事件は闇の中。何とも後味の悪い結果ではありますが、夫妻にとってのノイズは終わったように思えました。
ところが、自殺した産婦人科医には妊娠中の妻がいたのです。
自殺で保険金が下りず、訴えられているために遺産も相続できず家も奪われ、さらには重なる心労で倒れ、子どもは死産、子宮も摘出という、人生がメチャクチャになる不幸を、彼女は一度に背負わされる羽目になります。
性的な触診、産婦人科医の自殺というノイズが、大きく連鎖し始めたのです。
ちなみに病院に運び込まれて、赤ん坊の死を目の当たりにして泣く妻ペイトン(レベッカ・デモーネイ)と、幸せそうに談笑するマイケル一家のシーンが交互に映し出され、ペイトンの悲壮感がいやというほど伝わってきます。
復讐を誓った彼女は、偶然にもベビーシッターを募集していたマイケル夫妻に近づき、雇われることに成功します。雇われたらこっちのもの、住み込みで生活を共にしながら、復讐の計画を立て、その機会をうかがうチャンスなどいくらでもあります。
彼女の望みは、この家をかつて自分が夫や子どもと暮らすことを夢見たマイ・ホームのようにつくり変え、夫を奪ったマイケル(マット・マッコイ)&クレア夫妻に(特にクレアに)復讐を果たし、子どもを奪う事でした。
計画は、さっそく動き出します。
まずは初出勤の日に、かつて自宅に掲げていた風鈴を“プレゼント”と称して持っていき、掲げます。
そして夜中にこっそり起き出して、勝手に赤ん坊に乳を飲ませ始めます。
作中を通して決して目が笑っていないペイトンですが、子どもと接しているときだけは本当に幸せそうです。
何事も起きなければ、母性愛の強い良いお母さんになっていたかもしれません。
冒頭にチョット出てきた、あのエロ産婦人科、彼が全ての原因になっているのですね。
そして復讐の第二弾。
マイケルが書いた論文をクレアが代わりに郵便局へ出しに行くのに同行し、その論文を盗んでトイレでビリビリに破り捨ててしまいます。彼の昇進がかかった苦心の作ですから、それを破ってトイレに捨てる彼女の心境は、きっとどす黒いダムが崩壊したようなものだったでしょう。
そして復讐心から昂ぶった怒りで箒を手に取り、トイレの壁を叩くわ蹴るわ…。
箒が壊れるまで殴り続けます。
それまで“ミステリアスだけど物静かで美しい女性”の雰囲気だったので、めっちゃ怖かったです。
当然の如く論文紛失にうろたえるクレア。持病のぜんそくが発症します。
それを目の当たりにしたペイトン、“ぜんそく…”とまた悪魔の顔を覗かせます。
復讐はまだまだ続きます。
ペイトンはこっそりマイケルの職場へ出向き、クレアが沈んでいるから彼女の誕生日パーティーを企画しようと持ちかけます。そしてこう付け加えます。
「マリーンも一緒に」
「私の発案だとは言わないで」
何と恐ろしい機転でしょう。
マリーン(ジュリアン・ムーア)がかつてマイケルと恋人同士だったことを娘エマ(マデリーン・ジーマ)から聞き出したペイトンは、クレアに不信感を与える布石でわざと彼女を巻き込み、さらには自分は第三者になることで、傍観者を装いながら操ろうというのです。
そして邪魔者のソロモンを追い出すため、クレアに「ソロモンのエマに対する態度がおかしい」と耳打ちします。
そしてソロモンの道具箱にエマのパンツを忍ばせ、電池を探しているふりをしてクレアにそれを見せます。
あえなく解雇されるソロモン。…可哀そうです。
しかしマァ、トントン拍子に上手くいくペイトンの目論見。
本当に良いように操られるこの夫婦に、始終やきもきしっぱなしです。
根っからの良い人間なのは分かりますが、人の悪意を知っている良い人間と、意図的に?それを見ようとしない良い人間とは全く別物だと思うのですが、彼らは後者なのかも知れません。
続いてペイトンは、マリーンとマイケルがパーティーの打ち合わせ中なのを知っているのに、知らない振りで「今日はマイケル、遅いわね」とクレアに言い、電話をさせます。
電話をしても出ない旦那、遅く帰ってきたら、マリーンと一緒のときだけ吸う煙草のにおい、果ては上着から出てきたマリーンのライター(ペイトンが忍ばせた)。
後はお決まりのコース。クレアはキッチンでマイケルを問い詰め「マリーンと寝てるんでしょ!」と大声で叫びます。
しかしこれが最悪のタイミング。
その日こそ、クレアのサプライズパーティーの日であり、別室では友人たちが静かに待っていたのです。
怒りから家を立ち去るマリーン。
クレアのために忙しい合間を縫って準備したのですから、当然の結果でしょう。
それでも、良い人間には、良い友人という宝物がついているもの。
酷い言葉を浴びせられたマリーンですが、ある日、売れ残りの自殺した産婦人科医の物件に、クレア邸に掲げられている風鈴と同じものを見つけます。
勘のいいマリーンは、さっそく図書館で当日の自殺に関する記事を調べ、葬儀の写真にペイトンの姿を認め、急いでクレア邸に向かいます。
正体を見破られたペイトン、とっさにクレアは温室にいると答えます。
しかしペイトンは、クレアを殺すために温室の扉を開けると天井のガラスが割れ落ちる細工をしていました。偶然にもクレアは温室に入りませんでしたが、「この前の事は気にしていない」と言いながら温室に入ったマリーンは、その扉を開け、死んでしまいます(ガラスが割れ落ちて死ぬ設定はムリがあるけど…)。
ペイトンの狂気はエスカレートしていきます。
クレアが喘息になった時に吸っている呼吸器をカラにして外出します。
帰ってきてマリーンの死を目の当たりにしたクレア、案の定ぜんそくを発症します。
しかし胸を掻きながら取り出した吸引器はどれもカラっぽ。
ついには、顔面を真っ青にして玄関に倒れ意識を失います(このときの演技が真に迫っています)。
幸い一命を取りとめたクレアですが、入院してしまいます。
ここに到って、ついにペイトンは妻であるクレアを追い出したのです。
そして当然の成り行きとして、今度はマイケルを誘惑します。
クレアの自尊心をズタズタにして、さらにはマイケルを捨て、家族を崩壊する目論見でしょう。
しかし何と!このギガトン誘惑をマイケルは耐え抜くんです!(やりおる!!)
雨に濡れた二人…、家に入って裸になったマイケルの身体をタオルで拭くペイトン、彼女の服は濡れて透け、意味ありげな表情で顔を近づけてきます…。
マァ状況が状況ですから、浮気なんてしている場合ではありません。
が、以前にも落とした氷を夜中に拾うペイトンの、これ見よがしに身体のラインが透けた服と誘う眼差しと口調に、フンヌと耐え抜いた経緯があります。
頑張った! マイケル頑張った!!
ちなみに床に落とした氷をそのまま冷凍庫に戻すペイトンはもうちょっと頑張れ。
しかし退院したクレアが帰ってみると、勝手に模様替えされた子供部屋、まるで家族のように仲睦まじいペイトン、マイケルそしてエマ。
意気消沈するも、マリーンが生前、突然自宅を訪れたことに何かあると感じたクレア。
マリーンが会社を出る直前に見ていたという家の資料をチェックします。
何とそれは自殺した産婦人科医の自宅で、訪れてみると子ども部屋の壁紙には模様替えされた自宅と同じものが。
全てを知ったクレアは帰宅してペイトンを2mほどぶっ飛ばすメガトンパンチを食らわします。やった!
が、ここから先がまた人が良いというか…、散々悪事を働いたペイトンに対し「出て行ってほしい」と告げるだけなんです。
もちろんマリーンが死んでいるので警察には電話をしますが、ペイトンがちゃんと出て行ったかどうかも確認しない二人。
案の定、彼女は家の中に潜んでいて、マイケルを叩きのめし、クレアもねじ伏せ、子どもたちに魔の手を伸ばします。
しかしここでソロモンが登場! 身を挺して子どもを守り、ついにはクレアに突き飛ばされたペイトンは二階から落ちて死に、狂気の一幕は終了しました。
ペイトンは、単なる悪者ではないので、ハッピーエンドとは言い難いですが、とにかくホッと胸を撫で下ろしました。
それだけ、切迫感のあるホラーでした。
面白かったです!
そして(たしかトム・クルーズと同棲していた)レベッカ・デモーネイは、とても美しかったです!

