『熊野筆』

熊野町は、
四方を海抜500mの山々に囲まれた
小さな高原で盆地です。
広島、呉、東広島の三つの市に囲まれ、
南北に細長い形をしています。

人口は約2万6000人、
その内1500人が筆司という
筆づくりの町です。
またその中でも、
認定試験に合格し、
伝統工芸士に認定された筆づくりの名人は
19名しかいません。
筆の原料となる動物の毛は、
主に、
ヤギ、馬、いたち、鹿、タヌキなどで、
ほとんどを中国や北アメリカから
輸入しているようです。
その上、
筆の軸は、
岡山県や島根県から仕入れており、
さらには、
台湾、韓国からも輸入しているよう。
このように、
熊野町には
筆の原材料となるものは
何一つありません。
それでは、
なぜこの町に筆づくりが
発達したのでしょうか?
それは…
江戸時代末期ごろ、
平地の少ない熊野村では、
農業だけでは生活が苦しいため、
農閑期を利用して、
奈良地方から筆や墨を仕入れ、
売りさばいていたそうです!
そこから、
筆と熊野の結びつきが生まれました。
今から約170年前に、
広島藩の工芸の推奨により、
本格的に筆づくりの技術習得を
目指すことになりました。
その先駆者となったのが、
当時筆づくりが進んでいた、
奈良や兵庫県に派遣されたり、
地元に招いた筆づくり職人に、
技術を習った若い村人達でした。
その後、
村民の熱意と努力により
筆づくりの技が根づき始めたそうです。
全国では、明治5年に学校制度ができ、
33年には義務教育が4年間になるなど、
学校教育の中で筆が使われるようになり、
生産量が大きく増加しました。
第二次世界大戦後、
習字教育の廃止により
毛筆の生産量が
落ち込んだ時期もありましたが、
昭和30年頃からは
画筆や化粧筆の生産も始まり、
昭和50年には広島県で始めて
伝統的工芸品に指定を受けました。
現在では、
毛筆、画筆、化粧筆の
全国生産の80%以上を
占めるまでに発展しています。
ハリウッドでは、
セレブのメイクさんたちの筆は、
ほぼ??熊野筆を使ってたりするようです!

このように、
熊野の筆づくりは、
今も親から子供へ子供から孫へと
技術が引き継がれています。
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