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大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ ~ アドルフ・ヒトラー


周りが言ってるからそうだろう。
周りが言ってないから、違うだろう。
日本国民はすでに、自分で何も思考できなくなっている。
何の根拠もなく、「そんなことあるわけないじゃない!」。
これと同じことをカルト信者が言っている。「うちの教祖様がそんなことするわけないじゃない!」
これではもう、日本国民は、日本国という宗教の、末端信者でしかない。



日本は閉鎖的な島国で、礼儀作法に毛の生えたような○教を学び、そのくせ、ちょっとしたことで、腹切りを迫られるか、切り捨てられるか、という抑圧された中で生きてきて、それがおかしいとも思うことすらなかった。多少思っても、「どうしようもない。」と何もやらずに、言い訳をしてきた。「どうしようもない。」かどうかはやってみないと分からない。本当の理由はただ単に、周りの人達の輪から一歩外れるのが恐いだけである。
それでは断られるのが恐くて、外に出られない営業マンと同じだ。



アリストテレス、ダ・ヴィンチ、ゲーテなどのような哲学者が日本ではでてこないのは当然かも知れない。



まだまだ日本人は苦しまなければ分からない。というよりも自分自身で首を絞めていることに全く気づいていない。



「生きるとはなにか?死とは何か?」そんなことを友達にいつも話していたら、変わったやつと言われ、何れ人伝いにカルトの勧誘が来る始末。


日本の技術力は高く、日本人は勤勉でもあるが、それはいい意味でも悪い意味でも、周りの人達の輪から一歩外れるのが恐いからかも知れない。
終業時刻を過ぎていても誰も帰らなければ、欧米人のようにはなかなか一人だけは帰れない。
もちろんそういった教育を受けさせられてきたということはあるだろうが。
今のところ日本人は最もゴイムには適した民族かもしれない。



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まだ来ぬ未来の不安を煽られ、周りの人達に置いて行かれると恐れ、目先のお金と目先の社会的地位にしがみ付いていては、いつまでたっても幸せは訪れない。
多くの日本人は、すでに物質的には、大昔の殿様よりも裕福なのだが、それに気づかない。



子供のためにお金をかけ、年間数百万円の中高一貫の私立学校にやり、年間1千万円以上かけて東大にやり、官僚になったところで、その子供は人生の幸せを感じられるような哲学を持つことができるだろうか?生きるだけの喜びを感じられるような思考を持つことができるのだろうか?

高級マンションや高級車を持っているという優越感ぐらいは得られるかもしれないが、優越感は劣等感の裏返しであり、「(自己で認められない)劣等感は必ず敵意に変わる。」



現実的には、途中で何かがおかしい事に気づき、引きこもるか、自殺するか、そうでなければお偉いさんになって犯罪者の手引きをする以外に何があるのだろう?



魂で感じられる喜び、幸せ、感動、これらの経験が確固たる自信や、信念、思考、知恵をもたらし、より素晴らしい人格を形成してゆくのではないだろうか?



権力欲、支配欲、金銭欲、社会的地位、優越感・・・、所詮、いずれ来る死を受け入れられない、不安や劣等感からの逃げ道でしかない。もちろん逃げ切れないが。



最終的に、悪と言われるものが勝って一部の支配者とその他大勢の不幸な奴隷の世界になっても、善と言われるものが勝って、みんなが平和で幸せな世界になっても、皆、アダムとイブの子孫であるということであれば、そのどちらの結果でも、子孫繁栄がなされたという捉え方もできる。
しかしそれでいいのだろうか?



自分が支配する側か?奴隷側か?勝ち組か?負け組みか? それで本当の幸せ、生きる喜びを得られるのか?
相対的な自分の位置などどうでもいい。
どうせなら、みんな幸せなほうがいい。



現在の技術力と知恵と、今ならまだ取り返しのつく自然があり、それが可能だとみんなが気づき、それを願い、行動に移せば、いつでも平和で幸せな世界が訪れることができるというのに。



となりの人がどうか?、自分の友達はどうか?そんなことはどうでもいい。
自分の世界で、自分が人に合わせても意味はない。他人は他人の世界を生きている。
自分に見えていないものは、自分の世界には存在していない。
それが自分自身に見えたとき、それは自分の世界で起こっている現実である。



それらのさまざまな情報(正誤ありの)を多くの人が知り、自分の思考と知恵によって、単一的な一事象としてではなく、自分の中にマッピングしていくことにより、大から小まで、全ての繋がりが見えてくれば、世の中はより良くなっていく。



そうすれば、時間の経過とともに知識と知恵は膨大な量になり、可能性は無限にあるはずなのに、多くの人が時間の経過とともに"自分の可能性が小さくなっていると感じる"矛盾。
にも拘わらず、子供には"何でもやればできるから頑張りなさい"と言う矛盾が無くなっていく。


自分が良くなるために、社会を良くすることを理解できなければ、未来の社会を私達自身が選べないことを理解しなければいけない。