三菱ふそう派遣切り裁判の和解成立にあたっての声明
2011年7月28日
首都圏青年ユニオン


 2011年7月28日、三菱ふそう派遣切り裁判の和解が成立した。和解条項上、和解内容について口外禁止とされているため、詳細を述べることは出来ないが、今回の和解は、原告2名が十分に納得できる水準のものである。首都圏青年ユニオンとしては勝利和解であると高く評価し、この和解の成立をもって、本争議は全面的に勝利解決したことをみなさんに報告する。

 この裁判は、2008年秋から全国で吹き荒れた「派遣切り」の嵐のなかで、その年の暮れに三菱ふそう川崎工場の派遣社員と期間社員の全員に対して解雇が通告されたことに端を発した。

 解雇通告された派遣社員のうちの2名、鈴木重光、林貴行の両君は、首都圏青年ユニオンに加入し、雇用継続について団体交渉を申し入れたが、三菱ふそうはこれを拒否して両名の派遣契約を解除し、派遣会社は両名を解雇した。首都圏青年ユニオンによる三菱ふそう本社への団交申し入れ行動は、多数のメディアによって報道され、当時の「派遣切り」に立ち向かう労働組合の存在を社会に知らしめることとなった。首都圏青年ユニオンの抗議行動もあり、三菱ふそうは契約期間途中で解雇された期間社員については期間満了までの雇用継続をおこなったが、派遣社員については、そのまま全員が解雇された。

 同時に、鈴木重光、林貴行の両君も他の派遣社員と同様に寮からの退去を求められたが、居住権を奪うことは許されないとの立場から、退寮要求を拒否し寮での居住を続けた。

 2009年年始には、多くの労働組合、反貧困運動の仲間たちとともに「年越し派遣村」を開催し、この裁判も、そうした社会運動とともに励まし合いたたかうことができた。

 こうしたなか、鈴木重光、林貴行の両君は、三菱ふそうに対して直接雇用を求める裁判を提訴した。関連派遣会社など4社も被告となったので、三菱ふそうとあわせて5社を被告とする裁判となった。

 裁判の中では、企業がいかに労働者派遣法を遵守していなかったかが明確になり、また、労働者派遣法を全て遵守して派遣労働させることがいかに困難であるか、日本の職場においてそもそも派遣労働を適正に実行できるのかの問題が浮き彫りになった。そして、違反に対して実効的な救済ができない、労働者派遣法の不備も改めて明らかになった。

 今回の裁判闘争は、非正規労働者の解雇争議であると同時に、全国の70ともいわれる派遣切り裁判の一つとして、労働者派遣法の抜本改正運動とともにたたかわれたことは非常に重要である。残念ながら、現在まで労働者派遣法の抜本改正には至っていないが、私たちは、改正に向けての運動の一翼を担うことができたと自負する。

  首都圏青年ユニオンは、今回の勝利和解を基礎に個々の派遣労働者の権利実現のために奮闘するとともに、労働者の権利を切り縮めている労働者派遣法の抜本改正をめざして引き続き全力でたたかう決意を表明するものである。



http://www.labornetjp.org/news/2011/1312081842171staff01


PDF版 http://www.seinen-u.org/haken-kaiko.html