大東亜戦争により
もたらしたもの、それはアジア各国の独立、
そして民族が立ち上がり、自らが主体となって
歴史を作ることでした。
日本は、大東亜戦争開始後
次々とそれまで、イギリス、オランダ、アメリカの
植民地だった東南アジア諸国を独立させていきます。
インドネシアは過去、300年以上植民地支配が続いていましたが
日本軍はたった5日で解放しました。
そして1943年、世界史に残る歴史的な会議が行われます。
それは「大東亜会議」です。
世界初!有色人種のサミット開催!!
「大東亜会議」は、
当時の日本(大日本帝国)の同盟国や、
日本が旧宗主国を放逐したことにより独立を勝ち取った
アジア諸国の国政最高責任者を招請して行われました。
そこでは、大東亜共栄圏の綱領ともいうべき
【大東亜共同宣言】が採択されたのです
。
会議開催に先立ち、日本によるビルマの独立承認(8月1日)、
フィリピンの独立承認(10月14日)、大東亜省の設置(11月1日)が行われています。
この会議は重光葵外相によって発案され、
史上初めて有色人種のみが一堂に会して行われています。
当時の日本やその同盟国がイギリスやアメリカなどの旧宗主国を放逐したことにより
独立を果たしたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われ、
「それまでの植民地対宗主国の主従関係にとらわれたものでなかったため
会議はきわめて和やかに進められ、一家族の集会のようであった」という回顧があります。
【参加国とその最高責任者】
日本:東條英機内閣総理大臣(大東亜共同宣言中には「大日本帝国」ではなく「日本国」と表記されている)
中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
満州国:張景恵国務総理大臣
フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
タイ王国:ワンワイタヤーコーン親王(首相代理)
インド:インドからは、日本と協力しインド全土のイギリス(イギリス領インド帝国)からの
完全独立を目指していた自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボースが参加。
【大東亜宣言全文】
「抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あひよ)り
相扶(あひたす)けて万邦共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり。
然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し
特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ
大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり。
大東亜戦争の原因茲に存す
大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し
大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全(まつた)うし
左の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。
一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す
一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
一、大東亜各国は万邦との交誼を篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この共同宣言は、大西洋憲章を
超える宣言だったと思っています。
日本が、かねてより世界に主張してきた人種平等、民族共和の精神が
込められた一大宣言でした。
白人国家以外の国が一堂に会し
サミットの様な形式にて共同宣言を出したことも
世界で初めてでした。
この偉業を達成したことは日本が戦争に負けたことにより
「勝者の歴史」の中に埋もれ、存在すらかき消されています。
大東亜宣言を出したあと、
連合国がカイロ宣言を出したとも言われています。
さて、どちらの宣言が後の世に生かされたのでしょうか?
冷戦を生み出したひと時の米英ソ協調より
アジア各国の民族独立の波を生み出した
大東亜共同宣言の方が、生かされ続けたのではないでしょうか。
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