聖なる矢 ~運命を変えるため~  | 日本と中国の真実に迫る!

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「なぜマスメディアは中国やアジアの真実を報道しないのでしょうか?」、そういった日々の疑問をブログにしています!

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おはようございます。


今日は、チベットの中でおきた

抵抗の歴史を振り返ります。


1949年、中華人民共和国・建国
1950年より、チベットへ軍隊を送り込み
「チベットは中国の一部である」と宣言

農奴解放の名のもとに
漢民族を移住させ、共産党による独裁支配を行う…


そして



■抵抗組織「チュシ・ガンドゥク」


1958年結成、1970年代までゲリラ戦を展開。
中央チベットを拠点にしていた。


○「チュシ・ガンドゥク」の旗



■CIA 「セイントサーカス作戦」


「チュシ・ガンドゥク」が、アメリカのCIAと接触。
まずは6人のチベット人が、サイパンで訓練を受け
沖縄の嘉手納基地を経由し、B17でチベット上空へ

パラシュートで降下した。

以後、アメリカと連絡を取り抵抗運動を続ける。


また、アメリカ本土、ロッキー山脈などでも

支援活動、ゲリラ戦法の訓練が続けられ
2000名以上のチベット人が訓練を受けて
その後の作戦に加わった。



○作戦に参加したチベット人


■ラサ蜂起、そして亡命


中国軍の侵略と対するチベットの抵抗が続き・・・

1959年、「ダライラマ14世が中国に拉致される」
という噂が流れる
そしてラサでは、チベット人の大蜂起が起きる。

ダライ・ラマ14世は

南チベットの抵抗組織の拠点の中を移動し、亡命。



■続けられる戦い


1960年まで4回のパラシュート降下を行い

訓練されたチベット人兵士と武器を送り込んだ。

一時、中国軍の要衝を攻撃し一定の効果を得た。


しかし中国軍は、

数で圧倒し、容赦なく、侵攻し発砲してくる。
拠点の村には

ジェット機で、爆弾を投下し無差別虐殺も行う。
チベットの拠点は鎮圧されながらも
抵抗は続いていく。




■アメリカの外交転換と支援打ち切り


1972年、アメリカのニクソン大統領が訪中


○毛沢東とニクソン 


この握手により、チベットの運命は急展開してしまった。

1974年、CIAの支援打ち切りへ。




~戦いのなかに「真実のチベット人」を知る~


私は、このチベットの抵抗の歴史を見直してみたとき
「チベット人が必死で戦う姿」があったことが
わかり内心、ホッとしました。


伝えられる史実が「非暴力」という側面が
あまりにも強かったためです。

共産党に「宗教は毒だ」「僧侶は人民の敵だ」といわれ
寺院を壊されていく、それに抵抗しないはずはない。




抵抗するために、今できる最良の手段をとるしかない。
民主主義の大国「アメリカ」を頼りにしたんだなと思いました。


アメリカとしても、

「弱きものを助け、圧政に立ち向かうアメリカ流の正義」

という考えから、CIAが訓練したことは納得がいきます。


CIAが、支援の場所として
ロッキー山脈というチベットの環境・気候に近いところを
選んだことは「配慮がされたのだな」と思いました。


この作戦に加わったアメリカ人の元CIAの方の話が
動画に残されていましたが、
「チベット人と働くことができてよかった」
「とてもユニークな方々で、彼らのような人に

会うことはもうないだろう」と、回想し話していました。




○元CIAの方々の話


この「セイントサーカス作戦」について

ネットを見ていると

「CIAの力を借りるなんてよくない」とか

「アメリカは、本当に助ける気なかった」という
意見が多くありますが、

これはあまりにもネガティブすぎる意見であると思います。

マスコミが作り出した「反米」的な意見に偏りすぎては

いまいか、と。



仮にこの作戦がなければ

ダライラマ14世は亡命できていたのでしょうか?

そして『寺院が壊され、

チベット人が抑圧されている』という史実が

外国に伝わったのでしょうか?


すべてが中国共産党に消された可能性も

十分にありえます。


チベット人の抵抗も

南モンゴル、ウィグルの暴動も

天安門事件の学生の運動も

そこに抑圧があるからこそ起きているのです。


まずは真実を知ることこそ

重要である、と思います。


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