家庭教育学級の合同講座で、女性の人権についてのお話を聞きました。
一番印象に残ったのは、女性と男性の役割分担(男は外で働いて、女は家で家事・育児)という先入観に、自分自身、実はちょっととらわれていたということ。
自分としては、自分は、そういう個人的な趣味だから、
役割分担を良しとしない人のことをとやかくは言わないけど、自分はやっぱ、家庭で子育てをしたい、と。
でも、それは、自分を偽っていました。
本当はいつも、心の中には、
「仕事をしたい」という思いが、蠢いていました。
それは、具体的にどんなとか、わからなかったですけど、
多分、社会と、つながりを持ちたいということかもしれないです。
自分のなかに、
「家で夫に付き従って家庭を守る女性の方が格が上」
とでも言うような、固定観念があったんです。
それは、聖書を、日本のキリスト教会の中で読んできたことと関係があるかもしれません。
聖書を土台としていても、欧米ではそんな概念はないわけですから、
やはり、日本固有の概念なんでしょう。
しかし、その概念が聖書の記述に出会ったとき、
さらに強化されかねないという部分があるのです。
そのへんのところを、ちょっとじっくり考えてみないとな、と思います。
一番印象に残ったのは、女性と男性の役割分担(男は外で働いて、女は家で家事・育児)という先入観に、自分自身、実はちょっととらわれていたということ。
自分としては、自分は、そういう個人的な趣味だから、
役割分担を良しとしない人のことをとやかくは言わないけど、自分はやっぱ、家庭で子育てをしたい、と。
でも、それは、自分を偽っていました。
本当はいつも、心の中には、
「仕事をしたい」という思いが、蠢いていました。
それは、具体的にどんなとか、わからなかったですけど、
多分、社会と、つながりを持ちたいということかもしれないです。
自分のなかに、
「家で夫に付き従って家庭を守る女性の方が格が上」
とでも言うような、固定観念があったんです。
それは、聖書を、日本のキリスト教会の中で読んできたことと関係があるかもしれません。
聖書を土台としていても、欧米ではそんな概念はないわけですから、
やはり、日本固有の概念なんでしょう。
しかし、その概念が聖書の記述に出会ったとき、
さらに強化されかねないという部分があるのです。
そのへんのところを、ちょっとじっくり考えてみないとな、と思います。