私の娘たちは、韓国系アメリカ人の父と中国人の母の間に生まれました。

国籍はアメリカです。

 

しかし、家庭では彼女たちを「ハーフ」と呼ぶことはありません。

どちらかの国籍を強調することもありません。

これはルーツを否定するためではなく、
アイデンティティを、親の背景から定義しないためです。

 

日本では長い間、「ハーフ」という言葉が使われてきました。

最近では、「ハーフ」ではなく「ダブル」と呼ぼうとする動きもあるようです。

「半分」ではなく、「二つを持っている」という、より前向きな表現…のつもりらしいです。

 

しかし私から見ると、どちらも同じ前提の上に立っています。

それは、一人の人間のアイデンティティを、親の国家背景から説明しようとする発想です。

半分なのか、二つなのか。

どちらにしても、出発点は「国家」です。

 

でも本来、人は国家から生まれるのではありません。

一人の人間として生まれます。

好きなものを食べ、
好きなことを学び、
好きな仕事をし、
好きな人と出会い、
好きな場所で生きていく。

本来、それだけのことのはずです。

 

アイデンティティとは、受け継ぐものではなく、生きる中で形づくられるものです。

私の娘たちは、「ハーフ」でも「ダブル」でもありません。

 

ただ、天ぷらとキムチが好きなニ人の人間です。