「しまった!一足遅かったか」

悔しそうに舌打ちするステアに、「くそ!ニールとイライザめ。今日という今日は徹底的に懲らしめてやる」と息巻くアーチー。
「キャンディ大丈夫かい?」と夢中で駆け寄るアンソニー。

「ドリスに聞いて慌てて飛んで来たんだ。君がイライザに呼び出されてラガン家に行ったって。嫌な予感がしたんだけど、こういうことだったのか」

ポケットから取り出したハンカチでキャンディの顔を拭いてやりながらアンソニーは心配そうな顔をする。

「私、平気よ。寒いのには慣れてるから」

無理して笑うキャンディに三銃士は改めて惚れ込んだ。

次の瞬間、サファイアの瞳は厳しい色に変わり真っ直ぐイライザに向けられた。

「君って子はどこまでキャンディをいじめれば気が済むんだ。それからニールも!自分だけ高みの見物を決め込んで卑怯じゃないか。男らしく正々堂々下へ降りて来い」

アンソニーの剣幕に震え上がり、ニールは尻尾を巻いてバルコニーから部屋の中へと逃げ込んだ。
妹を見捨てることになろうがおかまいなしだ。
イライザも諦めているらしく、今更兄を頼りにしようなどとはさらさら思っていないと見える。

「さあイライザ、もう味方はいないんだぞ。分かったらさっさとキャンディに謝れ!」

アーチーの猛り狂った声が辺り一面に響き渡る。

「そうそう、ちゃんとひざまずいて『申し訳ありませんでした』って頭を下げなきゃ」

いつもは温厚なステアも今日ばかりは穏やかでいられない。

「もういいのよ。みんなしてイライザだけ責めたら可哀想だわ。女の子なんだし」
「はーん、女の子ねえ」

庇うキャンディをいじらしいと思いながらも、アーチーはぷっと噴き出してしまった。
アンソニーも笑いをこらえて肩を震わせている。

「ふん!何よ。悪いのは私じゃないわ。いつもキャンディが馬鹿な真似をするから気を利かせて忠告してあげてるだけじゃないの。それを意地悪だなんて心外だわ」
「忠告とは恐れ入ったね」

ステアもたまらず噴き出した。

「覚えてらっしゃい!このままでは済まさないわ。アンソニーたちに護られていい気になってるのも今のうちよ。必ず化けの皮を剥いでやるんだから」

イライザは捨て台詞を吐いて屋敷へ引っ込んでしまった。
今度はどんな仕返しを企むつもりなのか気になるが、考えても始まらない。
残った四人はやれやれという顔で深いため息をついた。
その直後、キャンディはクシャンクシャンと又もやくしゃみを連発する。

「風邪を引いたらいけない。早く帰って温かいものでも飲もう。それに濡れた服も乾かさなきゃ」

アンソニーは心配そうにキャンディの肩に手を回し、いたわるように歩き出す。

「ちょ、ちょっと待った!エスコートならこの僕が・・・」

アンソニーに負けじとアーチーが慌てて走り出そうとした瞬間、兄がそれを遮った。

「今日のところはあいつに任せよう。今キャンディが一番そばにいてほしいのは僕らじゃない。それはお前にだって分かるだろう?」

アーチーは悔しそうに唇を噛み、肩寄せ合って歩くアンソニーとキャンディの後ろ姿を黙って見送るしかなかった。





案の定、翌日キャンディは熱を出した。
鬼の霍乱(かくらん)とはまさにこのこと。
寝込んでしまうなんて一体何年ぶりだろう。
とにかく体がだるくて起きられないし、熱のせいか夢ばかり見る。
そして何回見ても、そこには必ずアンソニーが出てくる。
しかも決まって落馬するのだ。

「アンソニー死なないで!」と叫んでは目が覚め、また眠りに落ちては夢を見る。
朝から晩まで同じことを幾度となく繰り返していた。

何回目に目覚めたときだろう。枕元で誰かが話しかける声が聞こえた。

「初めて見たときから君は他の女の子と違ってたんだ。なぜか忘れられなくて、気になって仕方なくて。いつの間にかこんなに好きになってた。君が僕をどう思ってようが関係ない。僕はキャンディが好きなんだ。この想いだけはアンソニーに負けないよ。絶対にね」

あなたは誰?アンソニー?ううん、アンソニーの声じゃないわ。じゃあ一体誰なの?

ボーっとする頭で声の主を探ってみるが一向に分からない。
しかも声が聞こえていること自体、夢なのか現実なのかはっきりしない。
何が何だか分からないままキャンディはまた眠りに落ちていく。

「僕の想い、なかなか届かないようだね。それでもいいんだ。こうして君のそばにいられれば」

そっと手を伸ばし、キャンディの頬に触れてみる。
熱のせいだろうか、妙に温かい。
その薄紅色の頬に自分の頬をそっと近づけた。

好きだよ、キャンディ

少しだけ開いたドアからその様子をたまたま見てしまったアンソニーは、切なさに胸が苦しくなった。

お前、本気なんだな。だから僕に怖いくらい真剣に突っかかってきたんだ。
もし他の女の子だったら間違いなく譲ったよ。
兄弟同然に育ったお前より大切な人間なんて考えられないからね。
でもキャンディだけは――!
僕にとっても彼女は特別な存在なんだ。
だからたとえ相手がお前であっても諦められない。彼女だけは譲れない。
ごめん、アーチー。





コンコンとドアをノックする音が聞こえると、アーチーは慌ててキャンディの頬から自分の頬を遠ざけた。
「入るよ」という声と同時にスイートキャンディの花束を抱えたアンソニーが部屋に入ってくる。
「先客がいたんだな」と微笑むと、アーチーは「お邪魔なら出て行くよ」と静かに言う。

「いや、いいんだ。しばらく彼女のそばにいてやってくれ」

ウィンクしながらバラを花瓶に活けていると、キャンディがうわごとで「アンソニー、アンソニー」と苦しげな声を上げる。

「さっきからずっとこんな調子さ。お前の名前を呼んでは苦しそうに顔を歪めてまた眠っちゃうんだ。よっぽど怖い夢でも見てるんだろうな」
「もしかしてきつね狩りの夢かも」
「僕もそう思ってた」

二人して顔を見合わせ、ふっと笑う。
アンソニーはアーチーと反対側の枕元に腰かけ、キャンディを覗き込んだ。

「心配しなくて大丈夫だよ。僕らはずっとここにいるからゆっくりお休み」

無意識の中でも「彼」の声が聞こえた。
とても優しい声。
いつも心をときめかす、懐かしくて甘い声。
それが誰の声なのか、キャンディにはすぐ分かった。

「アンソニー?アンソニーなのね?」

今までずっとうなされていたのに、エメラルドの瞳がぱっちり開いて大好きな人の笑顔を見つめる。

「ああ良かった、無事でいてくれて。私、あなたが落馬する夢を何度も見て・・・」

そこまで言うと涙ぐんで言葉に詰まってしまう。

「心配性だなキャンディは。僕はちゃんと生きてるから泣かないで」

そう言いながらアンソニーは頬を伝う涙を拭ってやる。

「ほら、アーチーも様子を見に来てくれたんだよ」

キャンディはすかさず反対側に座っている人物に目をやり、「まあアーチーまで!心配かけてごめんなさい」と申し訳なさそうに言う。

「気にしなくていいよ。君さえ元気になってくれればそれでいいんだ」

僅かに微笑んでアーチーは立ち上がり、アンソニーの肩をポンと叩くと「用事を思い出したんで失礼するよ。キャンディを頼む」と言い残して部屋を出た。

「アーチー、わざわざ来てくれるなんて優しいのね」

心から感謝して彼が出て行ったドア口を見つめる。

「当たり前さ。みんな君が大好きなんだから」
「まあ!」

キャンディの頬がみるみるうちに真っ赤に染まった。



キャンディ、やっぱり君はアンソニーの声ならすぐ分かるんだね。僕がどんなに話しかけても気づいてくれなかったのに。

自室に戻った途端、やるせなさと悔しさで混乱しながら、アーチーは右の拳でドアを激しく叩いた。