(初出:2020年4月1日)

 

 

次の日、アンソニーはラガン夫人に呼びつけられた。
なんでもイライザが風邪を引いて寝込んでしまったとかで、是非とも見舞いに来てほしいとのこと。
もしや仮病では?――嫌な予感が脳裏をかすめたが、本当に病気だとすれば行かないわけにいかない。
渋々行ってみると、案の定、仮病であることはすぐ分かった。

「まあアンソニー、来てくれたのね!嬉しいわ♪ねえ、枕元に座って顔をよく見せてちょうだい」
「う・・・うん」

近づいた途端、急に手を取られた。
アンソニーの掌を痛いほど握りしめて頬ずりするイライザ。
こんなに元気な病人を今の今まで見たことがないのでアンソニーは呆れてしまった。
同時に怒りが込み上げてくる。

「熱はないようだね。君の手、少しも熱くないよ。それに至って元気そうだ。僕の見舞いなんて必要ないんじゃないかな」

仮病を見抜かれたことにビクッとしたイライザは、「そんなことないわ。あなたが来てくれたから熱も下がったのよ。アンソニーは私にとって、どんな薬より効き目がある特効薬ですもの」と祭り上げる。

「いずれにせよ君の風邪は治ったんだから失礼するよ。お大事に」

そっけなく去ろうとするアンソニーに、「まさかキャンディのところに行くんじゃないでしょうね?」と絡みつくような視線が。

「君に答える必要はないと思うけど」
「じゃあやっぱり行くのね?どうして?どうしてあの子じゃなきゃダメなの。あんな得体のしれない孤児なんか!私は子供の頃からずっとアンソニーだけを見てきたのよ。それなのにあなたはちっとも振り向いてくれない。この私がキャンディに負けるなんてあり得ないわ。絶対許せない!」

狂ったように泣き叫ぶイライザを半ば憐れみながらアンソニーは冷静に切り返す。

「人を好きになるのに『勝った』とか『負けた』とか・・・それこそあり得ないよ」

瞬間、イライザはハッとした顔つきになり、それきり黙り込んでしまった。
アンソニーの声が優しければ優しいほど、胸に刺さった矢の傷は大きくて深いのだろう。

(私じゃなくキャンディを選ぶなんてバカにしてるわ。もし好きになったのがアンソニーじゃないなら、こっちからこっぴどく振ってやるのに!でも好きなのよ。どんなに冷たくされても嫌いになんてなれない。この気持ち、一体どうすればいいの?)

気位の高いイライザの頬を、悔し涙がひとすじ伝ってこぼれ落ちた。






部屋に戻るとドアの前にアーチーが立っていた。
ギラギラ光る瞳は相変わらずだ。
それを見た途端、アンソニーは思わず身構えてしまう。

「またイライザのところへ行ってたな?ラガン夫人に呼ばれて出掛けたってドリスに聞いたよ」
「じゃあ、わざわざここまで確認に来る必要はないだろう。疲れたから休みたいんだ。通してくれ」
「イヤだね」

ずっと伏し目がちでいたアンソニーがピクッと動いて顔を上げた。

「もう一度言う。そこをどけ」
「断る!」

一歩も譲らない相手にアンソニーは完全にブチ切れた。

「おいアーチー、お前、耳が遠くなったんじゃないのか?」
「おあいにく様。僕の耳は正常そのものだよ。そっちこそ頭がおかしくなったんじゃないのかい?」
「なんだと!」

怒りを抑え込むのが限界まで来たアンソニーは、危うく拳を振り上げそうになった。

「イライザに振り回されていい気になってる奴なんて頭がおかしいに決まってる。そんなことで、よくキャンディを好きだなんて言えるな」
「イライザは関係ない。それに僕は好き好んであの子と関わってるわけじゃないよ」
「そら来た!お前はいつだってそうだ。向こうから来るんだから仕方ない。あんまり冷たくしたら気の毒だし。ちょっと話し相手になっただけだ。とかなんとか、いつも言い訳ばっかり。もう聞き飽きたよ。何度も言うけど、嫌ならはっきりした態度を取るべきだろう」
「そんな必要はない!僕の中では何が起きてもキャンディが一番なんだ。他のどんな子が何を言ってこようと気持ちは揺るがないよ。キャンディだって分かってるはずさ」
「そいつはどうかな」

アーチーの意外な返答に、アンソニーは少しばかり焦り顔になった。

「何を根拠にそんなこと言うんだ」
「不安そうなキャンディの顔を何度も見たからさ。お前がイライザのところへ行くたび、彼女がどんな顔してるか知ってるのか?」

これにはアンソニーも黙ってしまった。
自分の知らないところで彼女はそんなにも悲しんでいたのか。

「それが事実なら近いうちに埋め合わせをしなきゃな。天気のいい日にキャンディを遠乗りに誘ってみるよ」

遠乗りと聞くなり、アーチーはフフッと鼻で笑った。

「きつね狩りで落馬した奴に誘われたって嬉しかないだろう」

アーチーがそう言い終わった瞬間、サファイアの瞳がギラッと光り、相手の胸倉を掴んだと思ったら一発お見舞いしていた。
あっという間の出来事だった。

アーチーはドアにもたれながら口角から僅かに血を流している。
どうやら口の中を切ったらしい。
拳を握りしめたままのアンソニーはアーチーの惨状を見て初めて我に返り、慌てて彼のもとに駆け寄る。
ところが差し伸べられた右手を掴むと、今度はアーチーが反撃を食らわせる。
けたたましい音とともにアンソニーは床にもんどりうった。


騒ぎを聞きつけたステアが自室から飛び出してくる。
そして二人の間に割って入り、二度とパンチの応酬が出来ないように双方の右手をしっかり掴んだ。

「お前たち何やってるんだ!こんなことが大おば様に知れたらどうなると思う?第一、一番悲しむのはキャンディなんだぞ。一体いつからこうなっちまったんだ。僕たち三人、今までずっと仲良くやってきたじゃないか」

いつもは穏やかで笑いを絶やさないステア。
だが今日だけは違う。
褐色の瞳は怒りを通り越し、悲しげな色に染まっていた。


そうこうしているうち、怒声や物音を聞きつけて心配になった使用人たちが様子を見に来て、この件はすぐエルロイの耳に入ってしまった。
喧嘩の原因を問いただされてもアンソニーとアーチーはついぞ口を割らなかったが、察しのいいエルロイは、あらかたキャンディのせいに違いないと推測し、苦虫を噛み潰したような顔をした。
やがてキャンディもイライザもこの日の事件を後日知らされることになり、二人ともひどく動揺した。





その翌日、イライザに呼び出されたキャンディはラガン家の中庭に来ていた。
目の前に立ちはだかるイライザは、いつにもまして目を吊り上げ、ギラギラした視線を向けてくる。まるで今にも飛びかかってきそうな勢いだ。
こうなることを予想していたかのように、キャンディは悟りを開いたような顔つきでイライザをチラッと見た。

「今日呼び出したのは何のためか分かってるんでしょ?」
「大体はね」

ため息交じりに答えると、「待ってました!」とばかりにイライザが食いついてくる。

「じゃあ話は早いわ。もう二度とアンソニーに会わないでちょうだい。あんたがレイクウッドに来てから何もかもめちゃくちゃよ。今まであんなに仲の良かったアンソニーとアーチーが、あんふうに野蛮な殴り合いをするなんて悪夢だわ。あり得ない!全部あんたのせいよ。こんな子を養女にするなんてウィリアム大おじ様は一体何を考えてるのかしら。私、これ以上耐え切れなくなって昨日手紙を書いたの。騙されないでくださいって。大おじ様があんたの本性に気づくのは時間の問題ね。だからここにいられるのもあと少しよ。いい気味だわ!」

イライザはふふんと鼻で笑い、思い切り馬鹿にした目でキャンディを見下ろした。
ここまで言われては返す言葉がない。
アンソニーとアーチーが不仲になったのは自分のせいなのでは?と、うすうす感じていたから尚のこと。

その瞬間、上からニールの声がした。

「おーいイライザ、準備はいいか?行くぞ」

イライザは口角を釣り上げて「OK、お兄様」と不敵に笑う。
何事だろうとキャンディがバルコニーを見上げた瞬間だ。
バケツにいっぱいの水がバシャーッと頭に降ってきた。

「キャー、何するのよ!」

当然キャンディはずぶ濡れだ。
イライザはというと、水が一滴もかからないように上手いこと遠くによけている。
どうやらまたしても意地悪兄妹の悪だくみに引っかかってしまったらしい。
これでは初めてラガン家に来た日と全く同じだ。
あのときは季節が良かったからまだましだったが、今はクリスマスも近い寒さ厳しい12月。
いくらキャンディが元気いっぱいのお転婆娘でもたまったものじゃない。
早速くしゃみを連発していたら、アンソニーたちが息を切らして走ってきた。