アンソニーVSテリィ in 聖ポール学院  ~第4話~



アンソニーが現れて一騒動になってから、早くも一ヶ月以上が経ち、ロンドンの街並みはすっかり夏へと変わった。
日増しに強くなる陽射し。まとわり付くような蒸し暑さ。照りつける太陽の強さにめげながらも、心は何故かはやる。
夏が来ると、何となく嬉しい。それは聖ポール学院の生徒たちとて同じだろう。


アンソニーはいつものようにステアとアーチーの部屋に入り浸って、週末の何気ないおしゃべりに興じていた。

「おいアンソニー、夏休みはどうする?僕らはスコットランドのサマースクールに参加するけど一緒に来るか?」
ベッドの上であぐらをかきながら、枕を抱えるアーチーが尋ねる。
「スコットランドねぇ・・・面白そうだし、仲間に入れてもらおうかな」
「そうこなくっちゃ!アメリカへ帰ったら大おば様がうるさいぞ。待ってましたとばかりに質問攻めに遭うのがオチさ。下手すりゃニールやイライザも一緒に帰国ってことになって・・・」
そこまで言いかけたステアを遮り、「ああ、いやだいやだ。休暇中くらい御免こうむりたいね」と、アーチーは右手で十字を切った。

「そりゃそうさ。僕だって嫌だよ。あの連中と本宅で鉢合わせなんて」
アンソニーも苦笑する。
「でも待てよ・・・。僕らはともかく、アンソニーにとっては帰国が又とないチャンスかもしれないぜ」
思いついたように呟く兄に、弟は「なんで?」と詰め寄る。
「勿論帰る時はアンソニー一人じゃない。キャンディを同行させるのさ。そうすれば、夏休みだけでもテリィと離れられるだろう?二人きりでレイクウッドに行けば、彼女は昔を思い出して絶対アンソニーを選ぶ!」
「なーるほど。兄貴にしちゃ冴えてる方だよ。これで邪魔者は撃退だもんな」
指をパチンと鳴らし、アーチーはヒューッと口笛を吹いた。

だがアンソニーだけは浮かない顔をして、ソファーにのけぞったままだ。
「そんなに上手くいくかなぁ。第一、キャンディが帰国を承知するかどうか・・・」
椅子の背もたれに頬杖をついていたステアは、急に体を起こし、「そんな弱腰でどうするんだよ。そこを承知させるのが、お前のウデじゃないか」と力む。
「そういうこと、そういうこと。力ずくでも引っ張っていくくらいの意気込みがなきゃ!」
アーチーが加勢した。
「彼女は僕の頼みを聞いてくれるだろうか。恐らくテリィも誘ってるはずだから。どこか二人きりで夏休みを過ごせる場所へ」

アンソニーはため息をついて頭を抱え込んだ。
キャンディと一緒にレイクウッドへ帰れるなんて夢のような話だが、それを切り出すのが凄く怖かった。




同じ頃、やはりテリィもキャンディを口説こうとしていた。
週末の午後、ちょっと汗ばむくらいの陽射しが眩しい、にせポニーの丘で。
青々と茂った草の上に二人で腰を下ろし、入道雲がのんびり流れていくのを、並んで眺めた。

(落ち着けよ、テリュース。今日こそは彼女を落とすんだ。絶対怒らせないで、喧嘩もしないで、とびきり甘い言葉で)

自分にそう言い聞かせ、テリィは「二人の未来」を賭けて勝負に挑もうとしていた。

「キャンディ、怒ってる?」

突然の言葉に驚き、隣のテリィへ目線を移す。
緑がかった青い瞳が、優しい光を放ってこちらを見つめている。
五月祭が終わって二人の気持ちが近づいた頃の彼と同じだ。
本当は穏やかで温かくて、そしてすごく寂しがり屋のテリィ・・・そんな彼をキャンディは好きになった。

「どうしてそんなこと聞くの?」
「だって頭に来てるだろう?あいつが現れてから俺はずっとイライラしてて、気に触るようなことばかり言ってるんじゃないかな。これでも反省したんだぜ」
恥ずかしそうに言うと、照れ隠しに草をむしり取って遠くへ投げた。
「じゃあ、ついでにもう一つ反省してくれる?」
「何を」
「アンソニーのこと、『あいつ』って呼ぶのはやめて。ちゃんと名前で呼んで欲しいの」

キャンディは真顔で、隣に座るテリィを見つめた。
彼は一瞬ムッとした顔つきに変わりそうだったが、全てを呑み込んで、「分かった。そうするよ」と静かに笑う。

「ありがとう。私のわがままを聞いてくれて」
「わがまま?」
「本当はこんなことを言えた義理じゃないって、分かってるのよ。だってこの前、男子寮の裏庭で、私はアンソニーと会ってたんだもの。だけどあなたは責めなかった。本当は怖かったの。次に会ったら何て言われるか。でもいつものテリィだった。すごく嬉しかったわ」

キャンディは少し目を潤ませて彼を覗き込む。
瞬間、強い力で抱きすくめられた。
息もつけないほどの抱擁。
キャンディは苦しくなって、両手をテリィの腕に絡めた。微かなタバコの匂いがする。

「二人でいたい。いつまでもずっと」

耳元で囁かれた声が電流となって、キャンディの全身を貫いた。

(私も一緒にいたいわ、大好きなテリィ。でもアンソニーのことはどうすればいいの?彼の気持ちも裏切れないし。ああ、私ったら一体!?)

混乱する頭を左右に振ると、テリィは彼女を腕から解放し、代わりに柔らかい頬を自分の両手で包んだ。そして急に顔を近づける。
驚いたキャンディは本能的に目を閉じた。
桜色の小さな唇をテリィが覆う。
二度目のキスは、穏やかで優しい・・・
彼の愛が体中を包むような、甘い香りがした。

「テリィったら、いつも突然なのね」
彼がそっと唇を離してくれたとき、キャンディは真っ赤になって呟いた。
「性分なんでね」
くすっと笑ってウィンクする。

「ところでキャンディ、夏休みはどうするんだい。アメリカへ帰るの?」
「まだ決めてないわ。ステアたちと相談してないし、それに・・・」
言いかけて、慌ててやめた。
(それにアンソニーにも聞いてみなくちゃ)──そう言いそうになったのだ。
だが、テリィの前でその名は禁句。
にもかかわらず、察しのいい彼はとっくに気づいていた。

(アンソニーにも相談するのか?もししたら、あいつは絶対君を離さないだろう。そんなのは嫌だ!俺は許せないよ)

思わずキャンディの右手を掴み、ギュッと握り締めたが、緑の瞳はたちまち不安そうに揺れた。
何とか冷静を保たなければ、とテリィは自分に言い聞かせ、嫉妬心を押さえ込む。

「スコットランドのサマースクールに参加したらどうかな。そばにグランチェスター家の別荘があるし。夏休みは毎年そこで過ごすんだ。俺のところへ来るといい」

複雑な気持ちを押し込めたその言葉が、切ない響きをとどろかせ、キャンディの心にスーッと染みとおっていった。




それからしばらくたったある日のこと、又もや心が揺れ動くような出来事が起きた。
夕食が済んで部屋へ戻ってきたキャンディが、窓の外をぼんやり眺めていると、バルコニーの木が大きく揺れるのが目に入った。
どうやら風のせいではないらしい。夕闇が迫り、外の様子がよく見えない。
確かめようと近寄ってみたキャンディは驚きの声を上げる。

「誰かいるわ!」

もしかして泥棒?と思い、恐怖で身を硬くした。だが恐れる必要などないことはすぐに分かった。
コンコンと窓を叩く音が聞こえ、優しい声がそれに続く。

「キャンディ、聞こえる?僕だよ、僕」
目を凝らすと、沈んだ夕陽の残像に浮かび上がったのは、金髪の少年。

「まあ、アンソニー!」

警戒心はどこへやら、急に胸がドキドキしてキャンディは窓をそっと開けた。周りの誰にも気づかれないように。

「ごめん、こんなことしちゃって。どうしても今日のうちに会いたかったから」
突っ立ったままで中へ入ってこようとしないアンソニーに、キャンディは手招きして言った。
「立ち話もなんだから、こっちにどうぞ」
「いや、ここでいい。レディの部屋へ侵入するなんて失礼なこと、出来ないよ。しかもこんな時間に」
「あら、ここに来るだけでも十分失礼だと思うわよ」
からかうように笑って、キャンディは片目をつぶった。
「怒ってる・・・よね?謝るよ。でも明日がサマースクールの申し込み期限だろ?だからその前に言っておきたくて」

キャンディの軽口とは対照的に、アンソニーは真剣な目をしていた。
ふと見ると、バルコニーの支柱にはロープが巻き付けてある。人目を忍んで危険を冒してまで、ここへよじ登ってきてくれたのかと思ったら、キャンディは胸が熱くなった。
優等生で、シスターのお気に入りのアンソニーなのに。

「言おうか言うまいか、今まで随分悩んだけど、今夜言わなきゃ、君は明日サマースクールに参加表明してしまう・・・そんな気がしたんだ」
「まだ申し込みしてないことを知ってたの?」
「ああ、アーチーに聞かされた。それで君はどうするの?」

そういえば、ここ2、3日、アーチーがやけにしつこく、「ねえキャンディ、夏休みはどうする?サマースクールに参加するつもり?」と聞いてきたが、このためだったのかと納得した。

「多分、アニーやパティと一緒に参加するわ」
何のこだわりも見せずに答えるキャンディを見て、やっぱり・・・とアンソニーは思った。

「もし良かったら、僕と一緒にアメリカへ帰らないか」
「え?」
予想もしなかった提案に驚いて、目を白黒させるキャンディ。
「ほら、約束したろ?ポニーの丘を一緒に駆けようって。君の育った場所を見たいんだ。あの日の約束をまだ果たしてないからね、僕は。それにレイクウッドのバラ園にも連れて行きたい。去年の今頃はあそこで楽しく過ごしたよね。夏のバラが盛りを迎えて、そりゃあ奇麗だよ」

一生懸命話をつなぐアンソニーを見ていたら、何故だか胸が苦しくなった。
出来ることならすぐ返事をしてあげたい。「一緒に行きましょう!私をあの頃へ連れて帰って」って。
でもキャンディの脳裏をかすめたのは、テリィの言葉だった。
スコットランドへ、俺の別荘へ来い・・・
彼の好意を踏みにじることも出来ないのだ。
困った挙句、キャンディはこう言った。

「これからアニーやパティと相談してみるわ。明日のお昼休みにいつもの裏庭・・・あなたのバラ園に行くわね。どうするかはその時話すから、待っててくれる?」
「勿論だよ」

そう答えて、アンソニーはキャンディの手を取った。そのまま自分の胸に引き寄せ、抱きしめたかったが、想いを必死で呑み込んだ。
今触れたら、海の泡みたいに、願いが儚く消えてしまうような気がしたからだ。
後ろ髪を引かれる思いで手を離すと、一言残して彼は身を翻した。

「信じてるから・・・」

搾り出すような切ない声が、キャンディの心臓を締め付ける。
「アンソニー!」
小さく叫んで、今彼が立っていた場所に駆け寄ったが、鉄柵から身を乗り出しても、彼の姿はもう見えなかった。




そして何時間かすると、部屋はとても賑やかになっていた。
アニーとパティが来たのだ。目的は勿論、サマースクールの件。
アンソニーとテリィから同時に誘われて困り果てたキャンディが、助けを求めている。
もうすぐ消灯時間だというのに、なかなかいい案が出ず、三人とも滅入っていた。

「困ったわねえ。どちらかを立てればもう片方に失礼だし、かといって体は一つだものねえ。同時にアメリカとスコットランドへ行ければいいのに」
ソファーでため息をつくパティの隣に座って、アニーも困惑顔だ。
「どっちが好きなの?アンソニーとテリィと・・・って、それが決められれば苦労はないのよね」
ベッドに寝転がりながら、キャンディも「そうそう」という顔をする。

「でもちょっと位は優劣付けられるんじゃない?例えばアンソニーの方が優しくて安心できる、とか・・・」とパティ。
「私、この前初めてまともに口を利いたけど、とっても素敵な人だったわ。物腰が柔らかくて紳士的で。もし最初に会ったのがアンソニーだったら、アーチーより好きになってたかも・・・」
目を輝かせて言いかけ、アニーは慌てて口元へ手をやった。
「アーチーに言いつけちゃうわよ!」
チラッと視線を投げると、キャンディはちょっと意地悪そうにニッと笑った。
「やめて!お願いよ、キャンディ」
泣きそうな顔で懇願するアニーに、「冗談よ」という笑い声が返ってくる。

「そういえばアンソニーって、キャンディの初恋の王子様に瓜二つなんでしょ?」
パティが割って入った。
「ええ。ホントにびっくりするくらい。スコットランドの民族衣装を着て、バグパイプを持ったら、どっちがどっちだか分からないと思うわ」
「王子様はそんな格好をしてたの?」
キャンディが頷くのとほぼ同時に、パティは大きな声を出した。
「ねえ、その人はもしかしてスコットランドの出身なんじゃない?ってことは、地元へ行けば何か分かるかもしれないわよ」
「それもそうだわ」
アニーも同調する。
「行ってみるべきよ、スコットランドへ!こんなチャンス、そうそうあるもんじゃないから」
「私も賛成。来年の夏はどうなるか分からないし」
漸く一つの結論に辿り着けそうになって、アニーとパティの顔はパッと明るくなった。

それを見ているうち、キャンディの心も次第になびいてきていた。
涼やかな高原の風が吹き抜ける、まだ行ったことのない、遙かな大地へと。